私の中の【忍ばずの女】

2013.5.12
文:西松布咏

古い話である・・・で始まる鴎外の小説【雁】。

私の中の【雁】も古い話である。
初めてそのページをめくったのは女学校時代。
笑いさざめいている群れから一人離れ部屋の隅で小説を読むのが日常だった。
わけても無縁坂に囲われている薄幸の女「お玉」と、りりしい角帽姿の東大生「岡田」の淡く儚い恋物語はいつまでも私の心にあった。
年頃になると女は結婚を夢見るのに、私はなぜか路地裏に囲われるような女にあこがれた。たぶん幼い頃始めた三味線が思うように弾けないので、毎日稽古出来るような境遇や時間が欲しかったのだろう・・・と今にして思う。
お玉が三味線を弾く女だったからかもしれない。

今からさかのぼる24年前。思うようにならないはずの三味線で身を立てる覚悟を決め「秘すれば唄」「恋すれば唄」のリサイタルを続け3回目に「哀すれば唄」で【雁】の主人公「お玉」を【忍ばずの女】と題し青山円形劇場で上演した。そしてこの6月1日【月虹楽衣舞】と題し古典とモダンの融合を試みる会をたちあげるにあたり歳月を越えた「お玉」を唄いたいと思うに至った。

ー 忍ぶ恋あらわれみえたるゆえ忍ばずの女といふ ー

嘘をつかれてばかりいる女 もう哀しまないで与えられた境遇のなかで
健気に生きようと好きでもない男の妾になる・・・
やがて自分にも嘘をつく女になる
そして毎日のように玄関先でみかける東大生に惹かれてゆく女
やがて忍ぶ女から忍ばずに生きてゆく女になりたいと思うようになる
ついに好きになった男に言葉を掛けようとする女になってゆく

しかし過酷な運命は二人を結び付けてはくれなかった。
岡田は自分が投げた石がお玉の心を打ち砕いたとも知らずドイツに旅立ってしまう。
残されたお玉は岡田の苦悩も知らず、又もとの日常に戻ってゆく。

でも結ばれぬ恋は永遠に忍ぶ恋に昇華し
忍ばずに生きてゆくお玉になってゆくのだろう。

私の中の【雁】は時を越えて限りなく【忍ばずの女】になってゆく。
6月1日 新たなるお玉を唄いたいと思う。