おんなのぼくしさん

エッセイ #2

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TEXT 飯名尚人

 

舞踏・映画・聖書
大野一雄とパゾリーニ

 舞踏家・大野一雄は、一時期舞台での表現活動をやめて映画に没頭した。コラボレーターは映像作家の長野千秋で、『O氏の肖像』(1969年)、『O氏の曼陀羅・遊行夢華』(1971年)、『O氏の死者の書』(1973年)の3本が制作された。『O氏の肖像』は、大野一雄の舞踏と長野千秋のカメラのセッションである。シナリオがあるわけでも、緻密な打ち合わせがあった形跡もない。映画冒頭のクレジットで、大野一雄は「演技する肉体・衣装」と記され、舞踏や踊りとは書かれていない。大野一雄の自由なパフォーマンスを、長野千秋が自由に撮影したような作りになっている。1971年の『O氏の曼陀羅・遊行夢華』では、前作に比べ明確なテーマが受け取れる。それは信仰に関するものである。私はこの作品で、大野一雄がイエスを演じているように見えてならない。新約聖書の物語世界を大野独自の解釈で演じているように見える。馬小屋ではなく豚小屋であったり、林の中を歩いてると弟子のようについてくる者が増えてゆき、お寺の中ではお経と共に踊り、天狗の面をつけて岩の上で踊り、崖の上で十字架を背負い歩く。決して聖書を忠実に再現することはしない。大野の想像力が爆発している。
 
『O氏の曼陀羅・遊行夢華』(1971年)牛小屋の前のシーン
 
 ピエル・パオロ・パゾリーニの『奇跡の丘』(1964年)は「マタイによる福音書」に基づいて制作されている。上杉満代さんの話では、大野一雄と『奇跡の丘』を映画館に観に行った記憶があるそうだ。長野千秋のインタビューによると『O氏の曼陀羅・遊行夢華』の最後のシーンで壁にダビデの星を描かれているが、当時ヨーロッパの映画祭で上映されたとき、この表現が認められず、残念ながら作品の評価は芳しくなかったようだ。『O氏の曼陀羅・遊行夢華』で大野一雄は、イエスを演じようとしただけではないだろう。途中、上星川の稽古場(大野一雄舞踏研究所)で撮影されたシーンでは、錬金術師のような学者の風情を持ち、大野慶人の大きな肖像写真の前で踊る大野一雄がいる。舞台ではできない表現が映画の中で拡張されていく様子が見て取れる。この三部作の後、1977年『ラ・アルヘンチーナ頌』(演出は土方巽)で舞台にカムバックする。大野一雄、71歳。そもそもなぜ大野一雄は舞台活動を中断し、映画に没頭したのか。そのことは上杉満代さんの解説(2020年フィリピンで開催されたダンス映画祭「FIFTH WALL FEST」のトークにて)で詳しく語られている。その内容はいずれ公開したいと思っている。
 
 O氏三部作は、舞踏家と映像作家の共同制作によって実現した映画である。このことは『おんなのぼくしさん』を挑むにあたり参考にすべき事例である。どのように舞踏家と映像作家は映画を作ったのか、作れたのか。長野千秋のインタビューを紐解くと、大野一雄がやりたいことをして、長野千秋はそれを撮る。そして撮った素材はなるべく削らず繋ぐ。そういうことだったらしい。どうして同じようなショットが続くのだろう、と思っていたが、撮ったものを全て残す、という編集アイディアによるものだったのだ。長野と大野の関係は重要である。脚本から映画を作るのではなく、踊りから作る。その踊りは単にテクニックを披露する自慢げな踊りではなく、「演技する肉体」であるから、その肉体は物語を孕んでいる。何かを描き出そうする肉体を素直に撮ればよいのだろう。

(2023年1月)