「常備祷」
遠藤有紗
竹内 優美香
遠藤 有紗
撮影 •編集 •監督
遠藤 有紗
作品解説
とある日、一人暮らしの私のアパートに2人の女性と小さな女の子が訪ねてきた。
宗教の勧誘だった。
話の切り上げ方が分からず、随分と長い間玄関先に立っていた。
そのおかげだろうか、最初に訪ねてきたうちの一人が度々私の家を訪れるようになった。
私もすぐに扉を開けてしまう癖があったので、なかなか彼女の足は途絶えなかった。
頻繁にチャイムが鳴り、怖くなって居留守を続けた。
そうしたらポストに手紙が投函されるようになった。
無地の茶封筒。
2、3度目を通したがどれも信仰を勧めるもので、内容も同じ事の繰り返しだった。
それ以降手紙は一度も読まなかった。
そんな私と彼女の攻防戦は、気付けば10ヶ月を過ぎていた。
劇中の2人は、「与える者」と「受け取る者」に分けられる。
一心に言葉を与え続ける「竹内」を悲劇、その想いを受け取り吸収する「遠藤」を喜劇の立場に置いた。
この映像における悲喜劇性は、与える側の執拗な丁寧さと受け取る側のわがままな態度にある。
直接受け取るでも返事を書くでもない「遠藤」は、終盤、新しい手紙欲しさに自ら便箋を差し出し、期待するのだ。
私は、私を祈る言葉が欲しい。
劇中には、実際に母から私に宛てられた手紙の一部を取り入れた。
返事をしたことはない。
貰えるだけ貰って返していない。
日々、私は一方向の愛を吸収しているのだと思う。
監督・脚本・撮影・編集・出演
遠藤 有紗(えんどう ありさ)
2001年生まれ 福島県出身
東京造形大学 映画映像専攻領域 2年
ドキュメンタリー映像及び日常写真を中心に制作を行う。
出演者 竹内優美香も映画祭に参加。下記リンクからもご覧頂けます。 https://dance-media.com/zokei2022/2/takeuchiyumika.html
作品批評
作品は、台詞や説明を省いたシンプルな内容から構成されている。部屋の中の手紙の在り方や、送る・受け取る所作から垣間見える関係性があり、それらを想像させる余白こそがこの作品の大きな特徴の一つと言える。
部屋に溜まる手紙の量や、「毎日」「日にちがたって」といった手紙の言葉、雨の日にも差し込まれる手紙から、「竹内」は「遠藤」の部屋を毎日のように訪れていることが読み取れる。序盤の玄関先で手紙を書くショットは、投函するまでをカットすることなく見せることで、毎日の竹内の時間を印象付けている。竹内は手紙を出しているものの、部屋を直接訪れ、呼び鈴を押して遠藤を待っている。その姿は、遠藤が直接ドアを開けることに期待を抱いているように見える。
一方、遠藤はドア越しに手紙を受け取り、それを読む。部屋の中で整理された沢山の手紙のショットからは、この手紙のやり取りを受け止めていることが分かる他、日用品に紛れた手紙のショットからは、やり取りが遠藤にとっても生活の一部になっていることが伺える。
終盤の窓の柵に便箋を差し込む手と、アパートの前からそれを見る一人称視点は誰のものなのか。竹内と遠藤それぞれを当てて考えると、異なる関係性やストーリーが立ち上がる。私は二つのショットを竹内の視点として捉えて拝見した。
便箋が差し込まれる前に、遠藤は窓から手紙を受け取っている。この差出人が竹内であるならば、いつものドアではなく見える場所に手紙を置いたことから、竹内は少なからず、手紙を受け取っているかどうか分からず不安な気持ちを抱いていたのではないかと推測できる。窓に差し込んだ手紙が無くなっていることに気づいた竹内が、受け取っているなら返事を書いてくれるかもしれない、と期待を込めて便箋を送ったのならば、受け取られないままの便箋をアパートの外から見上げるショットからは、寂しさや一方通行なコミュニケーションへのもどかしさが感じられるようになる。
二人の関係性や、竹内が手紙を送る理由、遠藤が部屋から出ない理由について、劇中に具体的に語られることはない。しかし、手紙のやり取りを通して、その背景を想像し、語られることのない時間の厚みを感じ取ることができる作品である。
【批評文 作者】
塩野 千秋(しおの ちあき)
東京造形大学 映画映像専攻領域4年
映像作品及び映像美術の制作を行う。
現在は映画美術とシナリオが互いに作用する効果についての研究を目的として、撮影のためにアパートの一室を借りて映画制作を行っている。
映画では、脚本、美術、撮影、監督を担当する。
映像作品ではフィールドサウンドやエレキギターを用いて、サウンドに重点を置いた作品も制作。
過去の作品
https://youtu.be/jeLES6VtAnE
写真を撮影したときに聴こえていたはずの音を思い出し、一本のギターによる即興フレーズを重ねて再構築する。