森を巡る映画祭
出演
池田 奈都季
長谷川 慈音
照明
松本 海空
撮影地
立川駅・東京造形大学
撮影・編集・監督
向駒木 潤
わたしより来たるもの、わたしが増やすもの。
わたしに知らない者はなく、わたしを知らぬ者は幸福である。
わたしが恵み、わたしが奪う。
わたしが繕い、わたしが暴く。
この指に果てはなく、贖いに足る生はない。
装うことなく、嘆くことなく、
かの者の願いをここで憐れむ。
森という空間に何を見るのか。歴史ある樹木の温かみ、心安らぐ場所、無数の命が渦巻く生態系の神秘。これらはたぶん、真であり、私にとってもそうであった。制作計画の前段階として大学の森を観察したとき、それが覆った。少なくとも私は森という空間にそういった安らぎの類を感じることができなかった。むしろ冷徹、無感情で、私が存在し、介入する余地のない、システムめいた構造体として私に映っていた。種を繋いでは朽ちていき、それがまた次代として種を残す。果てしない循環を存在の本質とするひとつの領域として完成されている。その一切に間違いはなく、故に閉塞している。
私は日常の中で自分が人間であることに違和感を覚える。時として自身の理念や欲求が非人間的で、遺伝子の意思、いち生命体としての自身と反するものだと感じる。だから私は「森」に耐えがたい何かを見出す。それは完成された生命の坩堝であり、私が逃げ出したい何か、ある種の宿命そのものだからだ。
主人公(以下「僕」)と共にあり、森の中で待ち受けるもの(以下「彼」)は、自然という構造の代弁者である。「僕」は文明の中で生活するがゆえにそれを恐怖する。「僕」は肉体への信頼がなく、運動する思考に本質を求め、自身が単に哺乳類のいち個体である事を悲観する。あらゆる思索、人生そのものが繁殖や死を得るための通過点でしかないのではないかという疑念、生物的本能とは不可分で、純粋な知性体としての己が存在し得ないことへの絶望。思いを巡らせる時、「彼」は現れ、それが善も悪もないただの真実であると突きつけてくる。ただ着実に存在することだけが「彼」そのものである。
銃は「力」である。何かを奪い、誰かを傷つけずにはいられない、生物たる自分もまた「僕」の恐怖である。どうしようもなく己に宿った、向ける先を選べば人差し指で理不尽を成すことのできる「力」が銃である。「僕」は逃げ続ける中でそれを捨てようと試みてきた。「彼」をただ直視する覚悟を得た時も同様である。それは「彼」が敵でないことを知っているからだ。
02.
PROFILE
監督 向駒木 潤
2004年生まれ 宮城県出身
東京造形大学 映画映像専攻領域在学
主に映像、漫画などを製作。それぞれの媒体でしか成立し得ない表現について実験中。
2024
監督作品
「殺風景」 16mmフィルム・課題作品
「LUCKY WRATH PEPERONCINO」 ショートフィルム・課題作品
「林の象」ドキュメンタリー・課題作品
参加作品
「惑星イノウエ」(脚本・人形操演)
03.
Dialogue
対談
鈴木大智
×
監督 向駒木 潤
鈴木大智
東京造形大学映画映像専攻卒業
主な監督作『惑星イノウエ』に本作監督は脚本等で参加
(向) よろしくお願いします。
(鈴) お願いします。
「銃」
(向) どうでした?
(鈴) 率直に?率直に面白かったよ。
(向) ああ、ありがとうございます。
(鈴) いきなり細かいとこから入ってくと、最初は街中のショットの連続で、そこから急に主人公が出てきて、奥に謎の黒い人が見える。その後に急に銃のショットに変わる。っていう切り替えが、なんだろう。一気に映画になった感じがした。映画的なショットって言ったらいいのかな、人物の見つめ合ってるショットの連続って切り返しじゃん、映画で言う。そういうなんか、においを感じた。
(鈴) 銃って、モチーフとして強烈じゃん。キャプションだと、力のメタファーとか、自分でも制御できない何か、とかそういう事だったけど。銃が映ると否応なく引きずり込まれていく。これからの展開がもう危険な匂いしかしない!みたいな。そういう力をすごく感じるよね。
(向) もう、銃が出た瞬間に、いつ撃つのか、何を撃つのか、でしかなくなるっていうところは。そこはかなり前提として意識しましたね。
(鈴) 映画史的に言っても映画って銃と共にあるみたいな感じはあるからさ。そういうすごく、なんだろう、根源的なものを感じたっていうか。これが出てくることによって、合図というか。それから結構ぐいぐいぐ、言っちゃえばカットのつなぎでなんとなくの展開がわかるみたいなさ。そういう構成になっていくかと思いきや、急に原っぱを歩く鳩の映像とか。映画で言うインサートみたいな入りっていうよりも、急に映像詩みたいな、そういう風合いが入ってきて、そう思いきやまた主人公たちの周辺でドラマがあって。森の奥に何かあるぞみたいな。さっきから気になってた人物に相対する、っていう。
「森」
(鈴) 最終的に、あそこでしょ、通学路の。
(向) はい。造形生お馴染みの脇道。千と千尋が始まりそうな。
(鈴) 笑 造形の周りの森って鬱蒼としてるというか、爽やかな、開放的な森じゃないから。ロケーションとして合ってると思った。キャプションの中で、森が安らげる場所じゃない、みたいなこと書いてあったけど、森から自分の思想というか、そういうものに繋げてるのにはすごく共感した。
(向) 共感されるものなんだ、あれって。
(鈴) それこそ、そういう話は前一緒にした気がする。
(向) あ、うん、しましたね、いつぞやに。
(鈴) 人生っていう何も大義なものじゃなくて、もっと何か大いなる自然のシステムっていうか。抗えないそういうものに結局組み込まれてくもんなんじゃないかみたいな。すごく乱暴にまとめると。それから考えると、今しか撮れないテーマであり、作品なんじゃないかって。
(向) まさにそういう話になりましたね、今回は。
(鈴) そういう気持ちとかってさ、この時期ならでしょ。若い時期ならではっていうか。大人になるとなんか、そういうものも見て見ぬふりして、結婚したり、子供が出来たり、なんとなく、角が取れて丸くなっていって、経験値を積んだんだっていう言い訳っていうか、そういう言い分があるけど。そういうものほどつまんないものがないんだよ。
(向) 笑
(鈴) 結局はそのつまんない大人になるんだ、みたいな。
(向) 同時に、なんというか「それ」がちゃんとできる人ってすごく偉いよねっていうような話もしましたね。
(鈴) そういう大人たちってさ、衝動的に作った作品とか、棘っぽい考え方とか気分とか、そういうものを上手く丸め込んでパッケージにしてこようとする感じがあるけど、そういうのもなく解き放ってるというか。こういうことしてこそ美術大学にいる意味だよなって。
「人」
(向) なんかこう、伝わるように、綺麗にまとめた時に、失われる何かがあるじゃないですか。それが、そのバランスの取り扱いがあまりに難しいというか。
(鈴) でも、こういうもの作れてるっていうことは逆にこう自由に思いのままにやれそう、じゃない?なんかこう作品にしようとか、そういうまとめ上げろみたいに言われる方が、えっどうしたらいいのみたいな気分になっちゃって。それをずっと考えていくうちに、なんとなく「そういう」コツを掴んじゃって。よくある、作品として、まるっとさせるような。
(向) こう、切り揃えた感じ。
(鈴) そう、でも、それは何かね。まあ世の中に作品を出すっていう以上大事なことでもあるけど。「そういう」ものを掴んじゃうと多分もう元には戻れない。
(向) ローリスクなことを大学でやるのはもったいないなっていう感覚はありますね。今が1番許されると思うんで。
(鈴) あと、編集上手いよね、技術的な話。
(向) ほんとですか。
(鈴) 課題で作ったやつ見せてもらった時とか、前から、上手いなって思ってた。今回も、カット割りの絶妙さというか。ここに一瞬こういうショット入れてくるんだ、みたいな。
(向) 結構テンポというか、リズム?間の取り方っていうか。特別激しい動きがあるわけじゃないけど長いショットとかが割と好きだったり。そういうものってコンマ何秒みたいな調整が結構出るじゃないですか。そこが楽しくて仕方ない。
「星」
(向) 編集も煮詰まってきた頃に結構、自分の好きなもの、映像の意匠というか。「これ」って「あれ」だなみたいなところをかなり感じたんですよね。『惑星イノウエ』だと1番これの影響でかいなってやつは、なんかあったりしました?
(鈴) オーソドックスかもしんないけど、不思議の国のアリスかな。
(向) ああ、カワイイ感じで実態がダークというか。
(鈴) そう。あの当時の社会風刺とか立派にしてるし。今の世の中の問題とか思っても、結構。ピッタリ合う。
(向)『イノウエ』は結構、ブラック労働とか、現代社会問題が大きめに出てるじゃないですか。ぼくは自分の内側の話ばっかりしてんな、っていうのが、自分の中でかなり強くて。今回、キャプションとかでは、僕にとって森はこういうもので、銃はこういうもので。ってそういうお題目があったんでやってますけど、映像単体としては、見た人それぞれが、ピストルに、森に、森の中の奴に、主人公に、僕の中とは違う何かを投影しやすいように組み立てたつもりなんですね。自分の中に見る脅威っていうのは、万人にあるはずだと思うんで。なんていうか、僕と、作品と、観る人個人っていう線の話なんですよね。社会っていう面について表明できてることは何もない。
(鈴) でも社会に合わせようとしすぎてもつまんなくなるからね。結局、社会を描くにしても、思いっきり社会を、さっき言った面として出しちゃうっていう、こっちに放り投げてくる作品もあるけど。やっぱりそういうものよりも、作り手自身の、自分で問題とか目の前にある光景を取り込んで、内でグツグツ煮て、ハッて出すっていうやり方が1番面白いし。そういうことはできるんじゃないかな。見えるものって嫌でも取り込まれるから。それ踏まえて作ったものって自然に、結果的にそういうものになる。
(向) そうですね。さっき僕と、社会と、みたいな感じで喋っちゃったけど、そういえば僕、社会の内側にいるんだった。めっちゃ恩恵受けて生きながらえてた。
(鈴) 笑 もう一段いくには、そこを自覚したとこからまた何かあるみたいなさ。近くにポロッと出るものって、なんかその人の100%の個性というか、人間性みたいなものが問われちゃうから。一旦自分はそういうものを取り込んでたんだって気づいて、何本か作ってさ、それを冷静に分析してさ。そこからじゃあここのスイッチをこうすれば、もうちょっと、沢山の人に、言い方あれだけど受けのいいものができるんじゃないみたいな。楽器で演奏するみたいに、勘所を掴むというか。多分そこがスタートラインだよね。