待つ 
監督 長谷川 凜


 
 

森を巡る映画祭

撮影・編集・監督
長谷川凜

「待つ」ことは期待と裏切りの繰り返しで、待つ時間は1秒毎に裏切られている。
献身的に福音を待つのも、退廃的にジャックポットを願うのも一緒だった。
 
裏切りの連続で構成されている時間のなかで、二度と味わいたくないような苦痛を味わっても、我々は待つことをやめられない。
神様が、100万回に1回くらいいたずらにファンサを寄越すから。
待ち続けるのが1番簡単で1番の苦痛でも、生きる限り何かを待ち続ける。
 
 
 

作品解説

映画祭プロジェクトの授業として映画を撮ることが決まってから、いろいろな場所でスマホのカメラを構えてみた。
テーマである造形大の森はもちろん、都心の人混みの中、部屋の窓から見える景色、サーファーしかいない海、子供がたくさんいる昼間の公園、バイクの音がする夜の道路。
そのどれも、画面に捉えた景色の中で、何かが起こることを無意識に待っていた。
生きることは待つことの繰り返しで、いつだって何かが起こるのを、誰かが来るのを、始まりを、終わりを、タイミングを、承認を、運命を、待っている。
この「待つ」という行為は、能動性のない忍耐ではなく、生命の持つ深い信頼と意志が宿っている。
ただ時をやり過ごすのではなく、未来に起こる何かを受け入れそこに向かって生き続けること。
いくら時間が掛かろうと、未来に何かが訪れるのを信じること。
鑑賞者もまた、この映画の中で何かが起こるのを待っている。
我々は生きる限り何かを待ち続けるのだ。

02.


PROFILE

監督 長谷川 凜

2004年生まれ 
東京造形大学 造形学部 デザイン学科 グラフィックデザイン専攻

03.


Comment

批評

 
書いてくれた人:友人K.H(多摩美術大学所属)

 



映像を観て、監督である長谷川と会話しながら「待つ」という行為について考えた。
「待つ」時間は、時によってどうしようもない不安感や焦燥感を感じさせる。
この映像では、「待つ」という時間の沈黙やゆったりさではなく、思い通りにならない不安定さや焦燥感などが、よく現れていると感じた。
よく、「待つのが苦手」「時間がもったいない」という人がいる。
確かにその行為には忍耐力が必要で、不確かなものを不確かなまま受け入れることは難しい。
だからこそ「待つ」ことはとても人間的な行為で、待っている間にしか育たない何かがあるのかもしれないと思った。
「映画を撮る」と知らせを受けてからこれを観るまで想像していたようなものとは違う実験的な映像だったが、「待つ」ことについて考えるきっかけになったテーマと映画だったと思う。