イカヅチ
監督 KONG XIANGYUAN(コウ ショウエン)

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音楽を巡る映画祭

この作品の構築は、私が「音楽をめぐる」けど「音楽が出ない」という矛盾しているように見えるが、ある種の内在的な統一性が隠されているように見える意味深いテーマに対する連想から始まった。私の考えでは、このテーマの鍵は「音楽」の「有」と「無」に対する弁証法的思考にあるのだろうと思う。従って、「有」と「無」と「音楽」を作品の中でどう結びつけるのか?
 
「視覚」を例に挙げると、人間にとって「見える」という言葉は、全体を知ることができるように見えるが、実際には極めて限界がある語彙である。スペクトルを見ると、この世界を認識するために必要な可視光が非常に狭い一環しか占めていない。そして、この狭い部分の外に無限に広い天地が客観的に存在しているが、私たちは肉眼で認識できない。実はこれは「有」と「無」の間の曖昧な状態である。そして、「聴覚」に関しても同じではないか。
 
もし人間がある種の撥弦楽器なら、人々の中の「琴線」には様々な振動周波数があり、その振動から生まれた「音楽」も人と人の間の理解によって「有」と「無」、「聞こえる」と「聞こえない」の間で振動するのだろう。では、これらの抽象的なコンセントを現実世界の具体的な人間関係に持ち込んだら、どんな物語ができるのだろう。
 
そこで、私は自分の高校時代の実体験を元に、二人の大学生を主人公とした人間関係とその関係性から生まれた抽象的な「音楽」についての物語を構想した。そして、この作品によって「人の心の中の音楽」という抽象的な概念をある程度表現し、探究したい。

監督/脚本/撮影/編集
KONG XIANGYUAN
 
録音/撮影協力
XING YUEHAO
 
出演
MA ZHUANGJI
LI XINYUE
YANG HENGSI
XIONG WENDI
XING YUEHAO
KONG XIANGYUAN

01.


TRAILER

02.


PROFILE

KONG XIANGYUAN (コウ ショウエン)

2000年生まれ、中国北京市出身。東京造形大学映画・映像専攻領域四年生。
在学期間いくつの短編映画と映像作品を制作。現在、劇映画とドキュメンタリーとコンセプチュアル・アートを中心として研究しつつ、思想性と美感を兼ね備えた作品を目標として制作する。

03.


Works


監督作品『風塵でも』(2019)
12’54’’
何があっても、人生は続く。
ひとりの留学生についてのドキュメンタリー。

監督作品『夜想』(2020)
11’00’’
夜、彼女は生きている。
ひとりの女性が夜に思考していることについての劇映画。

監督作品『四季』(2020)
5’29’’
季節めぐり、だけど…。
インスタレーション。

監督作品『緑の囚人』2020年
3’32’’
半年の記憶、緑の檻に。
この半年の記憶についてのドキュメンタリー。

監督作品『ここにいる』(2021)
9’33’’
わたし、あなた、彼ら、この街にいる。
わたしが住んでいる街の人達についてのドキュメンタリー。

参加作品『夕日に沈むまでに』(2021)
36’50’’
(撮影と録音アシスタント担当)
お互いの心、理解できるのか?
三人の大学生についての劇映画。

04.


Dialogue

対談

出演者 XIONG WENDI 
×
監督 KONG XIANGYUAN


XIONG WENDI
東京造形大学 映画・映像専攻卒業
東京造形大学大学院 美術研究領域在学
本作品出演者



XIONG: 私はいつもあなたの作品にある私的な要素が良いと感じています。あなたは自分の内在的な感情に注意を払う人だと思っているので、あなたが作り出す世界は現実的な世界でありながら、非常に個人的な場所のような感覚を与えます。かなりユニークな感覚です。この作品でショウサイ(主人公の出演者)が演じているシーンを見ていると、公的な映像と私的な映像の中間にいるような感じがあります。これがあなたのスタイルなんだと思います。音の扱いもうまくいっています。
なぜ、インタビューやナレーションを加えることにしたのですか?

KONG: テキストを通じて物語を展開し、情報を伝えたいと思ったんです。

XIONG: 作品の最初の部分のナレーションがとても好きです。でも作品全体には常にナレーションがあるので、私にとっては少し多すぎるかなとも思います。ナレーションを残すなら、インタビューを削除すべきですし、逆にインタビューを残すなら、ナレーションを削除すべきだと思います。観客に想像する余地を多く残す方が良いと思います。最初に構築したコンセプトについて過剰に気を使っているのかもしれないけれど、映画というものは結局映像の流れです。説明のための言葉をあまり多く使用しない方が良いと思います。ショウサイが演じるキャラクターが友人を探す過程自体はもう十分感動的ですから。
もし観客にショウサイが演じるキャラクターに入り込んでもらいたいのであれば、インタビューの部分を削除し、ナレーションを残す。一方で、観客に主人公が友人を探す過程を客観的な視点から楽しんでもらいたいのであれば、ショウサイのナレーションを削除し、3人のインタビューのみを残すことができます。それによって観客は、ヒントの一切ない、ただ主人公の詩的な行動だけを体験できます。

KONG: 確かにそうですね。これは私が十分に考えていなかったことが問題で、とても良いアドバイスです。

XIONG: でも他の人が見たとき情報が多すぎるとは感じないかもしれません。私自身は以前に映画を学んでいたので、独自の鑑賞習慣があります。一般の観客は、あなたが提供するこれらの情報を、より素直に受け入れるかもしれませんね。
ショウサイの演技についてもいくつかの考えがあります。以前、私の映画作品にもショウサイに出演してもらったことがありますが、だいぶ感じが異なりますね。あなたの作品では、ショウサイの演技は現実的な人間のようでした。私が撮ったショウサイは、まだ「人」になっていない状態のような演技です。また、ショウサイは、今回のあなたの作品を演じる際に、以前よりも上手になったと感じました。おそらく彼が演じるのは彼自身と比較的一致する役柄であるため、より自然になるのでしょう。

KONG: 確かにそうですね。実際、この作品を撮影する時、現場には私とショウサイの二人だけの場面が多かったので、この作品について多く話し合いました。彼の言葉から、彼が私の作品を深く理解し、独自の考えを持っていることが感じられました。役者が演じるキャラクターに独自の理解と認識を持っている場合、スムーズで自然な演技になるかもしれません。

XIONG: 確かに。また、正式な撮影の前にフルプロセスのリハーサルを行ったことは非常に良いですね。

KONG: そうですね、リハーサルは本当に重要です。現場をより余裕のある状態にすることができます。