聲の道 
監督 鈴木 将悟(スズキ ショウゴ)


 
 

森を巡る映画祭

出演
但馬 綾音
宮坂 美瑠

撮影
鈴木 将悟
飯田 舞

録音
小野 眞志
居塚 汐音
由良 千咲

助監督
飯田 舞
由良 千咲

撮影地
七国峠(八王子市・町田市)

脚本・編集・監督
鈴木 将悟

どこにいるのか分からないくせに、隣にいるんじゃないかと思ってしまう。
呼んでも、呼んでも、答えのない答え。進んでも、進んでも、同じとこ。
連れ出してもくれない。風は私を呼んでいるのか、髪をなびかせてくる。
連れられて、進んで、どこかも分からない。
何もいないはずの土の上で、何かいるんじゃないかと思ってしまう。
この我が儘を、包んでほしい。
誰でもいいから。

いいの、あなたはそれで。
私は知ってる、あなたのこと。
触れるのなら、触りたいし、包めるのなら、包みたい。
私は返事をするだけ、生き甲斐もない。
あなたがあなたでいられるような、呪文も言葉も知らない。
ただそこに、いてほしいだけ。
私は待つことしかできないから。
 
 
〇森は生きているのか
 この疑問は、私が今回の「森を巡る映画祭」というテーマに接して、森に行ったときに思ったことである。実際、森へ入ってみると自然が豊かで、風で木々の葉が揺れ、そこから差し込んできた日が木漏れ日になって地面に映し出される。これは、「綺麗だ」と思った。ただ、それは少し違うと思った。森が生きていることと、森が綺麗であるということは全くの別問題なのである。では森が生きているという証拠はどこから得ればいいのか、と私は思った。森という漢字は、見る通り「木」が三つ重なって構成されている。つまり、森の下の単位は木であるわけだが、私はその木の一本一本が果たして本当に生きているのかという疑問も湧いた。森を構成している要素はもちろん木だけではないが。我々人間は、胸に手を当てれば心臓の鼓動を感じることができる。それは他の生物も同じで、触れたらなにかしらのアクションがあるはずなのである。対して、木というのはそこにずっと佇んでいるだけで、こちらが触れようとも、切り落とそうとしようとも何一つ動かない。動かないからこそ、私は木をじっと見たときに「無機質」であると感じてしまった。葉が風に揺られれば、それは生きているかも知れないと思うだろうが、しかしそれは外側からのアクションであって、木が意思を持って動かしているわけではない。では、そのような木々が意思を持って生きているとしたらどうだろうか、というアイデアをもとに今回の作品を制作した。
 
〇いるもの
 我々が生活している中で、「八百万の神」という概念はどこかへ行ってしまっている気がする。八百万の神とは、身の回りのあらゆるものに神様が宿っているという神道の考えである。普段生活している中で、「あ、ここに神様いるかも」と思う機会はそう多くないのではないかと思う。人間が生活するこの空間、場所はすべて人が人のために用意したものである。故に、機能性があってデザイン性がある。それはもちろん便利で、私も日頃そのお世話になっている。しかし、そのような画一された社会のなかで、神様の存在を感じられる場所は少ないのではないだろうか。それは、当たり前であると思ってしまっているからだと思う。一方、森の中はどうだろう。得体が知れなくて、何かいそうな雰囲気が漂っている。「青木ヶ原樹海」や「八幡の藪知らず」のように、森という場所は特異な空間性を持っていると思う。それは時に不気味であったり、神聖であったりする。ただ、そこに何がいるのかは分からない。神か仏か、木霊か。そうしたものは基本的には見ることができないが、いないと断言することもできない。見えないものは本当にいないのか。今回の作品では「かくれんぼ」を題材にしているが、このかくれんぼは見えないものを探し出すという行為である。見えないものはいなくて、見えるものはいる、この理屈は当たり前になっているが、本当はどうなのだろうか。私は、まだ分からない。いるかも知れないし、いないかも知れない、この二つの間でずっと彷徨っている。今回の作品に「森の中のかくれんぼ」という儀式的な要素を入れたのは、視聴者にその答えを導き出させるためではなく、それを考えるという行為をしてほしいと思ったからである。
 
〇ファンタジーを描く
 この作品は、ファンタジー要素が非常に強い。それは木から鼓動が聞こえてくるという点もそうであるが、主人公・岡谷 蜜樹の空想であるという点が大きい。蜜樹の姉・文子(アヤコ)は5年前に他界しているが、姉への愛が強すぎるが故に自分の中のイマジナリーとしての姉が、現実世界で実体を持った形で現れてしまっている。このような存在は俗に「タルパ」と呼ばれている。「イマジナリーフレンド」という言葉は聞き馴染みがあると思う。タルパとはその上位の存在で、自分の意識を出て、自身の外側で自由に意思を持って単独で行動できるものである。今作での姉は、そうしたタルパの存在を元に考えたものである。これを登場させたのは、一種の曖昧さと一人と二人という境界を表現したかったからである。しかし、この存在は姉であって姉ではない。蜜樹の思う一面的で一方通行の姉である。故に、本物の姉は誰もわからない。本当にいるのかも、いないのかもわからない。そのような曖昧な存在を描こうと思い、今作では浮遊感のあるふわふわとした世界観を描くことに挑戦した。

02.


PROFILE

鈴木 将悟

2004年生まれ 栃木県出身
東京造形大学 映画・映像専攻領域在学
https://www.instagram.com/suzush0_3015/

主に映画、写真を制作している。
映像の中で視覚的に何が残せるのか、人物たちの心情と向き合って画面の中に何が映せるのかを探求中。
 
2022
『13秒の風景』16㎜フィルム・課題作品
『癖』ショートフィルム・課題作品
『FOCUS』ドキュメンタリー・課題作品
 
2023
『劣等』ショートフィルム・自主制作
「映画・映像専攻領域 有志展」グループ展示・上映会
『夢遊避行』脚本・課題作品
『広告A』『広告B』CM・学校祭広報
『心の在処』ドキュメンタリー・課題作品
『放浪する者たちへ』ショートフィルム・課題作品