ともあれ、これを目にし、話を聞いてくれた人は、この日はそこまで多くなかった。本部の前とはいえ、少し奥まっていたという「立地条件」にもよるかもしれない。けれども、いや、その分、訪れてくれた十数人(もっといただろうか)とは、各々にしっかりと事実を伝え、短時間であれ、絶望を分かち合いつつ考えるきっかけを共有できたのではないかと思う。
切り株の上を通ってもいいよと言うと、ためらう人が多かった。確かに踏んづけにくい。どこか「やっちゃいけない」感じがする。けれど、ちょっと考えてみると、その実物を砕いて紙にしていること、そして、その紙を無駄に使ってしまっていること、どっちが大きな「やっちゃいけない」ことなんでしょうか。
片方ができなくて、片方ができてしまうのは、自分のやっていることを知っている(認識できている)か否かの差ではないかと思える。
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