「混じって 混ざって」
吉川侑那
語り 櫻井薫
撮影協力 田嶋陸央 前田健
大岩岳史 渡會樹
PAENG GAHEE
撮影 編集 監督 吉川侑那
作品解説
〝悲喜劇〟という言葉は〝悲劇〟と〝喜劇〟の
二つが合わさり、成り立っていると思っていた。
しかし、本映画祭を機にこの〝悲喜劇〟という言葉について考えていくうち、
『果たして悲喜劇というのは二つの言葉から成り立っている事柄なのだろうか』と疑問を抱くようになった。
優しい日差しの差し込む、朝の台所。湯気を上げながら広がる出汁の香り。
『いい朝だ』なんて思っている私の視線の先には、沸騰した鍋の中で目を真っ白にして踊る煮干したち。グツグツと煮えたぎる熱湯の中泳ぐ死んだ魚。ふと日常のそんな景色がよぎる___
悲劇が生じている時、必ずそれに対しての喜劇が生じている。逆も然り。
ここでいう、〝それに対しての悲劇〟〝それに対しての喜劇〟というのは他者からの介入だ。
普段自分自身が感じている感情は、自身単体で完結するものではないのではないだろうか。
必ず〝何者か〟からの介入がある。その何者かは、人でも、動物でも、環境でも。
その混ざり合いが、悲喜劇という言葉の在り方に強く影響している。
その考えにたどり着いた時、〝悲喜劇〟は〝悲劇〟と〝喜劇〟で切り分けて考えることは
できないのだと感じた。
切っても切り離せない。常に共にある。どちらかが欠ければ存在しない。
対極の意味を持つと考えていたそれらは、〝それらでひとつの存在〟なのかもしれない。
以上のようなことを今回は映像作品にしたいと思い、ダンスを主軸とした作品に挑戦した。
常に側にいる他者と絡み合い、影響し合う。そんな悲喜劇の在り方を表現することを試みた。
上記で述べた些細な日常を始めとする、身近にある悲喜劇を一つでもいいから心に浮かべてきてほしいと演者に事前に伝え、撮影を進めた。彼女たちが何を思い浮かべ、舞ったのかは私にも分からない。
ただ人と人が混じり合うのではなく、肌の質感、瞳の持つ意志表示といった人間らしさも
この6分間に存在してくれていれば、それを見つめていければ___
そんな思いで監督した『混じって 混ざって』。
吉川 侑那(よしかわ ゆな)
2002年生まれ。
MVをきっかけに映像制作へ興味を持ち、東京造形大学映画映像専攻に入学。
光や質感、空間によって作られる時間の流れを捉えることを意識した映像制作に取り組んでいる。
正の走行性を持つ映像を自分のものにしていきたいと考え、制作している。
また、白黒フィルムでの写真を日頃から撮影しており、2023年3月2日-4日に同映画映像専攻の友人と高円寺にて、写真展『仮谷吉川展』を開催予定。
その空間に積み重なったモノ、人、感情、空気、、
わたしたちが思っている以上に多くの要素が絡み合い、
そこに「悲喜劇」が生まれるのだろう。
「悲喜劇」を思う演者の感情が、握りしめる腕、濡れた瞳、
演者自身の身体によって訴えかけてくる。
今作を見て、「悲劇」と「喜劇」、これらは、暗闇の中で踊るダンサーのように、
ゆったりと寄り添い、時には激しく共鳴し合い、
常に私たちの日常中に溶け込んでいることを気づかされた。
【批評文作者プロフィール】
上田 芽生 (うえだ めい)
武蔵野美術大学 造形構想学部 映像学科