「Nur wer die Sehnsucht kennt あこがれを知る人だけが」
豊永武蔵
”Nur wer die Sehnsucht kennt” from『Wilhelm Meisters Lehrjahre』
Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiß, was ich leide!
Allein und abgetrennt
Ach! der mich liebt und kennt,
Nur wer die Sehnsucht kennt Weiß, was ich leide!
”あこがれを知る者だけが” ‒ ゲーテ《ヴィルヘルム・マイスターの修業時代》より
あこがれを知る者だけが
我が哀しみを知り給う
悦びという悦びを捨て去り
ひとり空の彼方をまなざす
ああ! 私の愛する人は
心を通わせた唯ひとりの友は
あの空の彼方にしか
燠のようにくすぶる
吐き気とめまい
あこがれを知る者だけが
我が悲しみを知り給う
作品解説
このアニメーションを制作するにあたって、私はゲーテの著書『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796)に収められた詩 "Nur wer die Sehnsucht kennt" を翻訳し、そのイメージに導かれて「悲喜劇」についての思考をいくらか巡らせた。
対象は、眼差しによって悲劇性乃至喜劇性を帯びる。この私が私であるという自己意識そのものには、私に付随するあらゆる外的要因は無関係である。だから悲喜劇は、みずからを眼差しによって客体的に自覚する鏡のなかにある。
鏡の中の喜びと悲しみ。それは言葉によって掬いあげられ、均等に表現されるだろう。そうして他者の中にあるみずからと同じような「私」を信じながら、かつ三者の視点に立ってこそ劇はおもしろい。
"Nur wer die Sehnsucht kennt" の翻訳作業のなかで私は、他者、憧れ、主体が交錯し存在者としての根源的な自覚が混乱に陥るような感覚を伴った。
ゲーテの自然に対する汎神論的な眼差し、あるいは、自身の内に同様な自然を見い出すような眼差しによって、悲喜劇に没入せんとす。このアニメーションは、そのような過程に生まれたのである。
原作
ゲーテ(1749~1832)
『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』より ”Nur wer die Sehnsucht kennt”
訳・絵
豊永武蔵