「Eden」(エデン)
LI XINYUE(リ シンエツ)
作品解説
大学教員のジャスティン先生とその学生の吉野さんは、不倫関係がバレた後、学校後ろの山で心中した。事件が発生した一年後、この事件に興味津々の「私」は母校を訪れた…
この作品は亡くなった二人がどんな人で、どんな関係で、なぜ一緒に心中したかをフォーカスしたわけではない。
「人は亡くなった後、何が残るのか?」
この問題の好奇心から、死亡は本当の終焉なのかと考えた。
この作品を考えはじめてから、曖昧で様々な概念が段々と生まれた…
死亡はまるで魂を解放して、そして大地の一部になって…
私個人の話だけど、自分が中学生の時、漫画『EVA』にハマって、作者の貞本義行先生にすごく憧れた。貞本さんのプロフィールで初めて東京造形大学の存在を知った。
まるで夢みたいに、高校を卒業した後、日本に来て想像より順調に東京造形大学に合格した。もう3年生だけど、学校のバスに乗って、段々と森の奥に進む時、自分が造形大の学生だという実感がまだ持てていない。
「大学で映画を学びたい」という夢が叶ったのが幸せとしか言えないからだ。この学校は私に対し正真正銘の楽園ではないかと考えつつ、この作品のタイトルを『エデン』とした。
この作品の「主人公」ー吉野さんを作った時、自分が自由(消極的な)を求めこのキャラクターに溶け込んでいった。私の代わりに、永遠に楽園に残った…
LI XINYUE 李心悦
中国浙江省杭州出身。
高校卒業後、来日。今は東京造形大学映画映像専攻3年生。在学期間いくつの短編映画を制作。
今回の映画祭で参加した作品はフェイクドキュメンタリー。自分の好きなドキュメンタリー監督は、ヴェナルー・ヘルツォーク、ジョナス・メカス、フレデリック・ワイズマン…
映画監督作品:
『アリ』(2019) 『ダウール』(2020) 『森神』(2020)
『thief』(2021) 『春夢』(2019) 『よそ者日記』(2022)
『アナ』(2021・16mm)
この作品の悲喜性
自分はずっと「死」についてのストーリーを撮りたかったので、初めて悲喜劇というテーマを聞いたとき、すぐ「死」を思いついた。「死」はいつも「悲しみ」「悲劇」と繋がっているけど、私はそう思わない。チベット仏教の中では死はただ次の輪廻の始まり。キリスト教ではいつも信者へ「いい人が亡くなったら天国いくよ」に伝えている。
様々な文化の中に、死そのものは悲喜性を備えている。死のストーリーを表すのにもっと合う形はフェイクドキュメンタリーだと思った。フェイクドキュメンタリーはドキュメンタリーより微妙な喜劇性が持ってると思う。フェイクドキュメンタリーの真実性と死の曖昧さとが似てる。
ドキュメンタリーの真実性とヴェナルー・ヘルツォーク
ヴェナルー・ヘルツォーク監督の2007年の作品『encounters at the end of the world』(世界の果てとの出会い)の中で南極の科学者たちは氷の(凍った海の)表面に耳をつけてる。このシーンに対して監督の説明は「彼らにはアザラシの遠吠えが聞こえている」。すごくロマンチックなシーンだった。でも制作の裏話を見たら、科学者たちはただ監督の指示通り氷の(凍った海の)表面に耳をつけていただけだ。この明かされた事実は観客に対して本当に大事なのか?この作品を見て極地の希望を感じる時こそ、本当の真実ではないのか?監督は「感情の真実」を観客に伝えたかったのではないだろうか。そして今回の作品も、自分が映像に通じて「感情の真実」を伝えることを試みた。
鼎談
KONG XIANGYUAN(孔祥远)映画映像4年
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XIONG WENDI(熊雯迪)映画映像専攻卒業・絵画院生/本作品出演者
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XING YUEHAO(邢越豪)写真専攻4年/本作品出演者
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LI XINYUE(李心悦)映画映像3年/本作品監督
L(李心悦):始めましょう。
K(孔祥远)/W(熊雯迪)/X(邢越豪):はーい。
L:この作品について、知りたいことや質問はありますか?
K:なぜ、この作品を作ろうと思ったの? この作品のアイデアはどう生まれましたか?
L:学校を題材にした映画を作ろうと思ったんです。学校への愛情を表現するために。 だから、吉野さんというキャラクターを作りました。 吉野さんが先生と心中した後も、まるでこの場所(学校)にずっと居るかように… 。
そして、この映画祭のテーマは悲喜劇でした。 以前から心中の物語を作りたいと思っていたので、今回のテーマにぴったりだと思った。
K:特に気に入ったのは、冒頭とラストです。 作品のタイトルが「エデン」なので、見ていると「エデン」のような学校だと感じられる。 二人(吉野さんと先生)は、アダムとイブ。 特に気に入っているのは始まりと終わりで、始まりでエデンに入り、終わりでエデンから出ていく、この感じがすごくよかった。 エデンはずっとそのままで、その内側(エデンの中)に、あの二人の物語が隠されているようです。
W:この作品の悲喜性は?
L:このテーマについては、実はあまり深く考えずに制作していました。そもそも心中という行為は、かなり「悲喜劇」的と思ったので。悲劇になることもありますが、当事者にとっては悪いことじゃないのかもしれない。
K:この作品では、少し荒誕な人物を描写していますが、意図があるのでしょうか?例えば、7’00”あたりで演じているショウサイ(今作品出演者)が、先生の体格と生徒の体格の違さを表現しますね。
L:そうだね。確かに荒誕な感じを表現したかったです。撮影の時はセリフだけを役者に渡して、どう演じるか完全に役者にお任せしました。でもショウサイ(今作品出演者)のシーンで(7’00”のところ)、あの動きは私が意図的に仕組んだものでした。
L:邢さんはこの作品をどう思いましたか?
X:いろいろな場所がとても興味深かったですが、もっと典型的なフェイクドキュメンタリーだと思っていました。作品の中で鑑賞者に思考させるところが少し足りないと思う。
K:それは、この作品が、見る人にあまり考えさせず、掘り下げさせず、想像させないからかもしれません。それはこの作品の特徴の一つでもあります。この物語は、正体の知れない感じ、近づきがたい感じがあります。この作品の中のインタビューを通じてもあの二人のことは詳しくわかりません。あの二人は具体的どんな人なのか?どんな性格なのか?一体何があったのか?詳しく答えが示されていません。あの二人はこの場所で残ったままです。この「わからない」「近寄りがたい」という感覚が、監督の言いたいことの焦点なのでしょうか。
この作品から見えてきたことのひとつは、何かを深く掘り下げることを否定しているように思えたことです。 まるで私の知識欲を否定したいようです。何かを知りたいと思っているのに、それを教えてくれない。 この感覚が面白いなと思いました。
L:確かに私が表現したかったことは、そのことでした。
作品がまだ構想段階のとき、あの二人を知ってもらうためのインタビューをしようとしましたが、この作品の主人公はあの二人じゃなくて、「エデンの園」。 この空間です。
そして、この空間にいる二人がどんな人であるかは、私にとって大事なことではありません。 事件も、ただ起こった出来事に過ぎません。 この事件の発生が、この空間にどんな影響を与えるかはわからないけど、この事件自体がとてもミステリアスなのです。
X:この人が母校に戻ってきて事件について調べるわけですが、この人は調査する気を全然持ってないようでした
K:そうそう。
X:例えば、最後壁でメッセージを探すのシーン。字幕で「一生懸命探したが…」とあるけど、全然その努力が見えてない。なんか「ギャップ」がありますよね。
K:そう。ギャップがある。
でもなぜ、このエデンを舞台に、日常を超えたミステリーを展開しようと思ったのでしょうか。 心中という出来事は、学校にとって日常を超えた、神秘的で奇妙な事件だ。 エデン自体の穏やかで安全で孤立した雰囲気とも正反対だし、なぜこのような舞台でこんな事件が起こったのでしょうか。 この対比で何を表現したかったのでしょうか?
L:実は私はこの作品をドキュメンタリーと定義しています。ドキュメンタリーの被写体自身が強い社会性を持つべきです。
K:確かに。
X:多くのドキュメンタリーのテーマは確かに作者本人とは関係ないのが、作者の「知りたい」という気持ちが大きな魅力になります。 あるいは、作者自身が完全に環境の中に入り込み、作者と環境の相互作用が作品の最大の魅力になっていく。でも、この作品はちょっと「ギャップ」があるんですね。この作品では、作者が環境との関わりを持っていて、丸一日かけて調査しているわけですが、見ていると24時間頑張ったという感覚は持てません。それこそあなたが望む感覚かもしれませんが。
W:L(李心悦)本人を知っているからこそ、この映画には監督自身のリズムがあるとは思います。
探して、見つけて、そして感じて、その過程から離れるというプロセスです。 たとえば、最後のほうで、「私」が壁のマークを触りに行くところ。
この環境を入る前にもう「必ず掘り下げる」の気持ちを持つ作者がいる。もしくはこの環境に入って探しながら周りのことを感じる作者がいる。この作品からは、どちらかというと後者のような感覚を受けると思います。 最後に壁の印に触れたとき、母校に帰ってきた人間として(その瞬間に)何かを感じたと思う。 そして、最初と最後の長いシーンから、この作品は主観的な答えや「インタビューから何かが(真実が)分かった」という感じを観客に伝いたいわけじゃなくて、 この環境の時間と空間の流れの中に浮かんできた感性的なもののほうが大事なのです。
X(邢越豪)が言っていたように、インタビューにもう少し情報が加筆されていてもよかったと思う。 でも作品全体の雰囲気はよく出来上がってる。母校を戻って事件を調査をしつつ、最後に自分が惹かれるものを見つけるんですね。
L:制作当時は、この事件とあの二人のことをもっと詳しく示したと思っていました。でもさまざまな理由でこの目標は達成できなかった。 だから、W(熊雯迪)が言ったように、作品全体の感覚に直接フォーカスする方がいいと考えたんです。
X:さきほど、この作品はエデンの園と強い結びつきがあると話しましたが、その結びつきはどのような形でこの作品の中に現れていますか? 男女二人と一本の木という象徴的な存在以外に、何があるのでしょうか?
K:この作品の最初と最後が好きな理由のひとつは、空間に入り込む時間の長さです。 物理的な時間です......かなり長い。 自分との距離がかなり遠い感じです。
たしかにうちの学校は山の上にあって世間から離れた環境です。まさに桃源郷のような場所だよね。
自分は下校時、学校のバスを使わず歩いて帰るのが好きです。駅まで歩いていく過程を体験をするシーンです。
X:この空間が表す時間を引き延ばすってこと?
K:そう!車なら4分で降りられるのに、徒歩だと11~12分かかる。 そうやって時間を伸ばした後は、体感が良くなっている。 山の下の社会とはかけ離れた学校であることを感じさせてくれる。 こうした山の上の空間は特別な気韻があって、学校とエデンが何か本質的なところでつながっているような気がします。
W:「エデン」というタイトルのことは最初はあまり気づかなかった。でもみんなの話しを聞いて、先生と生徒の関係自体がとてもタブーで、さらに聖書ではアダムとイブが禁断の実を盗むこともタブーなんですよね。学校という平和な環境の中で、突然このような禁断の関係が生まれてしまったことをどう考えていけばいいのでしょうか。
X:ここの学校の中にも、普通の学校が持っているような小さな社会的なものがたくさんある。
L:このタイトルをつけた理由はシンプルで、私にとって美術大学は、社会の中の楽園、桃源郷のような場所だから。
K:この作品では、「私」がずっとインタビューをして、それぞれが自分の意見を述べ、その出来事に対するさまざまな思いを表現する。そのことから社会性が感じられる。でも、この映画では学校内の社会性にまったく触れていない。 学校はエデンに例えられるが、エデンには定義上、社会性はない。 エデンは、最も原始的で、最も自然で、社会が存在しない環境です。しかし、この学校は、ある意味エデンですが、実はその中では社会が営まれている。X(邢越豪)の意見を聞いて面白いなと思った。でもこの作品には、そういう描写は強調してないようでした。
L:そうだね。私もすごく面白いと思った。この作品に立ち返って見ると、取材した人が言っていたことは、学校が楽園かどうかとは全く関係がないと気づきました。 普通の大学にいるような感じです。 しかし、死んでしまった二人にとっての楽園だったのかもしれない。 残された者にとっては、ただの学校だけど。
X:なぜあの二人に対してここは楽園なの?
L:「桃源郷」について一言。 桃源郷とは生者が行ける世界ではないというのが一般的な意見です。死者しか入れない場所。 存在しないかもしれない、想像するしかない。
X:そうですね、見ていて感じたのは、エデンが学校そのものを指しているのか、それとも作品の中で私が演じた「一人で行く」という場所を指しているのかわからなかった。木があって、その木の影が目の前にあるところに立っているのシーンを見て、 エデンの中にもう一つのエデンがあるのような感じ。
X:何であのタバコのシーンを撮ったの?(笑)何か理由がある?
K:あのチェ・ゲバラのタバコは何?(笑)
L:(笑)あれは単純に面白いと思ったから。特に深い理由はないんです。
X:あのショットは、他のショットとは全く異なる雰囲気を感じさせてくれた。
L:あのシーンは映像ではないんです。
X:写真でしょう?!
L:そう。
X:あの壁のシーンも写真でしょう。
L:そう。
X:それは意図的な撮り方?
L:実は、撮った素材がそんなに良くなかった。そこで写真を使ったら全然違和感がなかったんです。映像と写真の組合せも面白いと思って。
X:見た瞬間、写真なのか映像なのかよくわからなかったけど、ふと時間の流れが止まったような感覚がありました。
L:以前、他の作品の中でもこの方法を使ったことがありますが、みんな意外と気づかなかったです。
K:多分みんなは気づいたと思う。みんなはこんな映像表現の形を自然に認めたんだと思う。だからこそ、これはこの作品に最もふさわしい表現方法じゃないかな。
K:あの男の学生さんが「先生はあのチェキを吸うのが好きなんだ」を言うシーンの次に撮ったのが、枯葉の中にあるチェ・ゲバラのタバコケースでしたね。
君は撮影時は感じていなかったかもしれない。 チェ・ゲバラという人自体が、とても社会的で政治的な人物。 だから彼が登場すると、「え? どういうこと?」って ちょっと不思議な気持ちになる。
L:(笑)特に赤を選んでいます。実は、作品全体が緩やかなシーンが多いから、ここに目を引くショットを入れたかったんです。作品全体のバランスのために。それと、チェ・ゲバラを題材にした映画で薦めたいのは『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』。
K:その音楽について教えてください。 バロック時代の室内楽のようで、リュートの演奏かな。
L:この音楽にまつわるストーリーはとても興味深いものです。 ヴェルナー・ヘルツォークの映画「Gesualdo: Death for Five Voices」という作品で聞いたものです。 この作品は、16世紀に活躍した音楽家であり殺人犯であるカルロ・ジェズアルドの物語。 この曲は、彼が妻を殺した後、その妻のために作られた曲なんです。
K:この音楽の挿入のポイントに何か意図があるかな? それとも純粋にフィーリングで?
L:音楽は最初と最後と蜘蛛のシーンのみにすべきだと思った。 蜘蛛のシーンに音楽を入れることに少し迷った。 でも、蜘蛛のシーンはもう現実のことではなく、もう一つの世界の何かに巻き込まれている。 最初と最後のシーンも同じ感じを伝えたかったんです。
…
L:じゃ今日の鼎談は終わります。みんなありがとうございました。バイバイ。
K/X/W:バイバイー
*中国語バージョン
对谈
孔/熊/邢/李
L:那我们开始吧。
K/W/X:好的。
L: 大家有没有什么没看懂的地方?
K:你是为什么想要拍这个作品?就是这个作品想法的来源是什么。
L:我当时是想拍一个关于学校的片子。 来表达对学校的喜欢。所以才创作了吉野さん这个角色。她和老师殉情之后就等于永远留在了这个地方(学校)。而且这个映画祭的主题是悲喜剧。我一直都想拍一个殉情的故事,然后正好感觉挺符合这次的主题的。
K:我特别喜欢的地方是开头和结尾。因为这个作品名字就叫伊甸,所以看到时候就能感受到这个学校就像伊甸园一样。那两个人(吉野さんと先生)一个是亚当一个是夏娃。我特别喜欢的地方就是开头和结尾,一个是进入伊甸园一个是出来,那个感觉就好。那个伊甸园就一直在哪没动,然后里面(伊甸园)就隐秘着那两个人的故事。
W:你觉得这个作品里的悲喜剧是什么?
L:其实我在创作的时候没有太刻意去想这个主题。当时就想殉情这个行为本身就挺“悲喜剧”的,硬要说它是个悲剧它可以是个悲剧,但是可能对当事人来说不是件坏事。
K:我想到一个问题。你在这个作品里的一些人物设定都有一点荒诞,这是有什么用意在里面吗?比如说,小马在演出他看见老师和学生尸体的体格的差异的那里。这个是你有意安排的吗?
L:嗯,我确实是想拍出荒诞的效果。但是那一段我就给小马台词要怎么演就让他自由发挥了。那段比划他们体格的动作是我刻意安排的。
L:邢 怎么看?
X:我觉得各种地方非常有意思,但是和我想象的有些不一样。我本来以为它是比较传统的那种伪纪律片,但是看的时候就觉得里面有些能给我些思考空间的地方就没有那么成熟。
K:我听邢说的这个这个点,或许正是因为这个作品里没有(给观众)更多的可以思考,可以深挖,可以想象的地方,我觉得这正是这个作品的一个特点。不过这只是我个人的想法。就是他(这个故事)有一种不可知,不可接近的地方。 在这个故事中,通过一些人的描述并么对他们两个人有什么深入的了解,他们具体是什么样的人,什么样的性格,具体发生过什么事,好像都没有得到细致的解答。这两个人就这样,停留在这了。 这种不可知不可接近的感觉是否是是你想表达的重心呢?
这个作品给我透露的一种感觉就是它好像在拒绝我去深挖一些东西。它没有给我充足的信息。 它拒绝我的求知欲。它让我想要知道一些东西,却又不告诉我。我觉得这种感觉很有意思。
L:嗯,这确实是我有意为之。在这个作品还在构思阶段的时候,确实有想过通过采访去慢慢让观众了解这两个人,但是我觉得让这两个人被了解并不是我的目的。确实这个作品的主角并不是这两个,我想表现的是伊甸园本身。是这个空间。而这两个人在这个空间中到底是个怎样的人对我来说是不重要的。它只是发生的一个事件而已。至于这个事件的发生对空间有什么影响?也不得而知但是这个事件本身就是件非常神秘,非常好玩的事情。
X:我当时有个感觉就是,我没有感受到我想象中的一个人返回去(学校)去调查一个事情的中,一个人会有的调查欲。
K:对对
X:我感觉他(我)好像没有想去调查。比如后面在墙上找他们写的东西的那段,虽然字幕上写了「一生懸命探した…」但是从影像却没有感觉到“我”很努力找了的感觉。有种「ギャップ」的感觉吧。
K:对,有种落差。 你为什么要在这个伊甸园中设定一个超越日常的神秘事件呢?殉情这个事件对学校来说是超过校园日常的,神秘的离奇案件。它和伊甸园本身平静的,安全的,与世隔绝的氛围其实是完全相反的,你为什么要在这样的环境里去设置这样一个事件呢?你想通过这种反差来表现什么呢?
L:我其实(一応)有将这个作品定义为纪录片,我记得之前有听你说过,纪录片的被摄体本身得具有社会性。
K:嗯,确实。
X:很多纪律片它确实和作者没关系,但它其中作者的求知欲变成了很大的吸引我的点。或者作者本身它已经完全进入这个环境里面,作者和那个环境的互动的成了作品最大的魅力。但我觉得这个作品就,有点「ギャップ」的感觉。这个作品中,这个作者他和环境也有关系,它甚至甚至是个一整天的调查过程,但是我看的时候又没有感觉到这个24小时的努力感。 还是你要的就是这种感觉我就不清楚了。
W:因为我认识L 我会觉得这部片还是挺有L自己的节奏的。就是有个寻找的过程,找到了之后就去感受它,然后离开这个过程。比如说最后L去摸墙上的痕迹那一段。一些作者可能开始进入这个环境的时候就抱着一种强大的期待,就是会想“我一定要在这方面把他「掘り下げる」” ,还有些作者是刚进入这个环境的时候也没有想很多,而是一边找一边感受从而得出一个自己的感觉。我觉得这部作品给我的感觉就比较偏后者。我觉得她最后在触摸那些墙上的痕迹时候,她作为这个重返母校的人感受到了一些东西(在那个时刻)。而且它有很长的进入的戏和很长的离开的戏,我会就觉得这个作品不是为了让我们得出一个主观的答案或者“我就是在采访的过程中知道了什么(真相)”。我觉得它刚多的是想表达一种感受这个环境中时间和空间流动的一种体感性的东西。 X说的那一点,我觉得确实采访的内容可以再加一点。但是,作品整体的感受还是有建立起来的。一种回到校园感受校园调查事件,最后找到自己被吸引的地方。
L:嗯 确实。就想X说到的,当时我计划的是可以在这个故事中可以呈现一个比较完整的事件。 但是后来因为各种原因这个目标没有完成。所以就干脆直接把重点放在W提到的感觉(营造)上面。
X:你们刚才说这个作品和伊甸园有强烈联系,你们觉得这种联系体现在哪些方面?除了这种象征性上的有两个人,有一棵树,以外呢?
K:我开始的时候提到过的一点,我之所以喜欢这个作品的开头和结尾就是他进入这个空间的时间。就是物理层面上的时间它是挺长的。就会有一种它(学校)不在你身边的感觉。确实我们学校也是在山头上。它是一种远离世俗的环境。就是一种桃花源的感觉。 我说一下自己特别主观的一些想法。我放学的时候就特别喜欢走下来,不喜欢做学校的车。我回去体验从学校离开,走到车站的过程。
X:就是拉长了这个空间所代表的时间吗?
K:对对。就是你坐车只要4分钟就能到下去,而走路的话就得十一,二分钟。拉长了这个时间之后,就会觉得这个体验特别好。就会感觉学校离这个山下的世俗世界特别远。反过来就会感觉山上的空间特别有意境。就这些会让过我觉得学校和伊甸园会又些什么内在方面的联系。
W:我开始没有太注意到伊甸园这个标题。但是我听你们聊的,我会觉得师生恋本身就是很禁忌的东西,然后圣经里面也是亚当和夏娃偷吃禁果也是一个禁忌。在学校这样和平的环境中突然有了这样一件禁忌的感情,我们因该怎样去看待这个事件,应该怎样去思考这个事情。
X:但我又感觉其中(学校)是有很多社会性的东西在里面,就是正常学校会有的小社会的感觉。
L:其实当时想这个标题的理由还是蛮单纯的,因为对于我来说美术大学在这个社会中就是这样一个 像乐园像桃花源这样一个地方。
K:明白。听了X刚才说的地方我有点在意。X刚才说的,这个作品中“我”一直在采访,然后每个人都说了一些自己的看法,表达了对这个事件不同的感受。它是有一层社会性存在的。但是这个影片中你却没有一点去触碰这个(学校里的)社会性。反过来说,这个作品中把学校比喻成伊甸园,但是按道理来说伊甸园中是不存在任何社会性的。它是最原始的,最自然的,没有社会存在的这样一个环境。但是与之相对论的这个学校里实际上不是这样的。虽然它在某种程度上是伊甸园,但是其实它内部是有社会是在运作的。我听了了X的想法意识到了这个点也觉得挺有意思的,但是你没有把它当成一个发掘的对象。
L:对。我也觉得很有意思。我在拍完后再去看这个作品的时候发现,我采访的对象说的内容和这个学校是否是乐园一点关系都没有。它就是呈现了一个普通的学校而已。但是这个乐园可能是对这两个已经死去的人来说是乐园而已。对留下的人来说它只是个学校罢了。
X:为什么你觉得对这两个人来说是乐园?
L:这里我想说一下桃花源。当大家去分析桃花源这个作品的时候,大家普遍认为这桃花源并不是一个活人能去的世界。 它是一个只有死人才能进入的地方。就是它可能不存在,而你只能去想象它。
X:嗯 我看的时候也有这个感受,我不知道(伊甸园)是指学校本身还是我在作品里演的说我要一个人去的地方。 有颗树的地方,然后我就站在那里,面前都是树的阴影。所以我确实就又一种伊甸园套伊甸园的感觉。
X:你当时为什么会拍那个烟啊?(笑)我觉得一应该是好玩,就是不知道你有没有除了这个看起来比较有趣的别的理由。
K:啊对对,那个切格瓦拉的烟是怎么回事?(笑)
L:(笑)那个单纯是我的恶趣味。没有什么深い的原因。
X:但我对镜头有一点在意,我感觉那个镜头和别的镜头有些不同。这个镜头给我氛围感和别的镜头比相差非常大。
L:那个镜头应该不是一段视频
X:是一张图片对吧?!
L:对对
X:后面墙壁的那段是不是也是
L:对对
X:所以这是你故意的一种手法吗?
L:其实拍完之后发现拍的素材都不是很满意。反而放一张照片上去没有那么明显的维和感。也感觉挺有趣的就。
X:对。我看待到(那一段)的时候其实没分辨出到底是图片还是视频,但是我突然就感觉时间的流动停止了 。
L:我之前在别的作品里也有夹过照片。以外大家都没有发现。可能大家对这个并不是很敏感。
K:我倒不是因为没有发现。我觉得大家可能并不是因为没有发现而是大家就觉得照片加视频这种形式就挺好的。就应该这样。
L:可能因为我非常喜欢《堤》
K:可能你当时在拍的时候没有感觉,但是我在看的时候,那个男生说那个老师喜欢抽那个チェ的烟。然后你下个镜头给的是在枯叶里头有个切格瓦拉的烟盒。因为本身切格瓦拉这个人物,它的社会性和政治性太强了。所以他一出现就会想“诶?什么意思?”。就会让我在一瞬间有个疑惑。
L:(笑)我还特地挑了个红的。
(补:其实咋这里放个能吸引大家注意力的镜头也是因为这个作品整体相对平淡。也有出于对全片观赏性的考虑。
最后顺便推荐一部关于切格瓦拉的电影。《チェ・ゲバラモーターサイクル南米旅行日記》
K:我还想最后问一个,就是那个音乐。那个像是巴洛克时代的室内乐音乐,好像只用鲁特琴弹的。
L:这个音乐背后的故事非常有趣。它来自赫尔佐格的一部电影,叫《五部声的死亡》。《五部声的死亡》讲的是,16世纪的音乐家兼杀人犯杰苏·阿尔多的故事。这首歌是他杀死他的妻子后又为他的妻子所做的。
K:这个音乐插入的点是有什么意图在里面的吗?还是纯凭感觉吗?
L:嗯 应该只有开头,结尾,和蜘蛛那个地方有音乐。确实在蜘蛛那个地方插入音乐我一开始是有些犹豫的。但是我感觉蜘蛛那一段已经不在现实范围内了,它已经涉及到另一个世界的东西了。其实开头和结尾对于我来说也是有同样的感觉。