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(合間)と(触覚)を巡る 

 

蠢(ウゴ)
毛利奈由

 




演者・制作 穂刈真澄
制作・監督 毛利奈由
あなたの目は、彼女の身体を追って蠢くことでしょう。
 

 

肉体と鉄パイプを交わるように配置し、肉体の各パーツを切り取るようにして撮影した。
指と鉄の交わりから始まり、腕、足、どこかもわからないような肉体と鉄が続き、最後に体の全体像によって、この映像は終わりを迎える。
肉体と鉄、二つの質感が重なり合う。互いにひしめき合う。
 
 
私のカメラは身体を伝うアリ。
 
 
 
 
 
画面の中に蠢くあのリズムは一体何だろう?
私の身体が蠢く感覚と彼女の蠢く感覚、すれちがってリンクし合う、時が、
いつかくるかなぁ?
 
 
画面の中の感覚が、画面を通り越して私の身体に蘇ってくる。
 


作者プロフィール

 
 
毛利奈由。モウリナユ。
2003312日生まれ。
 
東京大学映画・映像学科に所属している。大学一年生から映画映像サークルに所属し、メンバーたちと短編映画を制作中。ダンスをしていた経験から、身体表現と映像について興味を持ち始める。
 
作品
映画『young girl ,sexually knowing』(2021) 撮影、制作


批評 

 
大町美桜
 
 作中では、鉄と身体のみが映されている。人間の柔らかい肌と、金属の冷たく硬い肌とが対照的にとらえられ、両者を引き立てている。特に鉄と、指先にたまる血色との対比が鮮やかだ。
 画面に映るその「肌」は這うように、静かに動き始める。人のものでありながら、その肌は「人」を喪失した何かを感じさせた。
 画面外で、恐らく「肌」の持ち主と、誰かの会話が始まる。対話の間もずっと、その肌はまとわるように鉄に触れている。手足でゆっくりと、確かめるように。やがて、肌が感じる鉄の感触か、鉄が感じる肌の感触か分からないが、次第に伝わってくる温度や質感があった。この接触もまた「肌」と「肌」の対話であると感じた。
 終盤に初めて映る顔、目。見慣れた「目」というパーツに、ここでは何故か妙にざわざわする。「目」が語ることに、沢山の意味が集結しているように感じた。
 静かに鑑賞者の中へ入り込んでくる、巧妙で美しい作品だった。
 

大町美桜
絵画、超域専攻
 
 
水、石、大気が好き。
 最近は身体の延長について考えている。
 
 作品
「空気を触る」


 
私の虫は、ただどうしたらいいかわからなくて、困惑している。
私の虫は、ただどうしたらいいかわからなくて、困惑して、目線たがって、うろうろして、ただそこを這う。
 
そこにいる人の、情動に感化、激化。
ただ流れちゃって、感化しちゃって、止まってはくれないかと頼んで、そこにいる。
肉の中でゆらめく光も、全てが愛おしい。
困惑する私のアリ。
 
 

―『蠢』編集中、毛利奈由の言葉