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(あること)と(あったこと)を巡る

T A T T O O
新川華那

 

私には二歳からずっと一緒だった友達がいます。
二人は高校を卒業し、私は大学に進学、上京。彼女は就職し、地元を出て行きました。
それぞれの一人暮らしを始めてからも時折、通話をして近況報告などをし、会話を交わしました。
ある日、「私たち、もう電話することないかもね」と言われました。
翌日、彼女から自分の体にいれるタトゥーのデザインを考えて欲しいとメールがありました。
「新川の中の私のイメージで考えて欲しい」
それきり、彼女と連絡を取ることはありませんでした。
 
 

 
 
“私の記憶の中の彼女”
上京してから繰り返す追憶の度、私は一つの疑念を持つ
“これは本当の彼女なのか”
 
今起きていること と 昔起きたこと
あること と あったこと
 
全てが私というフィルターを通って
私の元に到達し、蓄積していく
 
確かめたくてもあの時の彼女には会えない
 
歯痒さの中、ふと気づくのは“また彼女に囚われている”ということ
 
眠りにつく前、
眠りについた後、
お皿を洗っている時、
電車の車窓から遠くの街を横切る電車を見ている時、
堂々巡り、巡る
記憶を巡ったことを記憶していく
 
それでも日々は、東京での今は、進み続ける
 
“私は曖昧なイメージと今を行き来する”
 
 

 
 
“大切だったあの人”と離れてちょっと大人になった誰かの、誰かのための作品。
 
 


作家プロフィール

 
 
 
新川華那

2002年 愛知県新城市生まれ
東京造形大学 映画映像専攻在学

2020 映画『hydrangea』監督作品。“世紀のダ・ヴィンチを探せ”高校生アートコンペティション2020にて特別賞受賞。
2021 映画『young girl’ sexually knowing』
2022 映画『門出』(東京造形大学映画映像専攻門出班制作)主演。
2022 映画『砂丘に行く人』(制作中)

作品批評
仲原かれん

 
彼女の作品は、閉ざす役割を果たすものが偶然によってほんの少し空いていて、その空いている隙を覗いているような感覚に陥る。
鑑賞者は、暗い廊下から部屋が見えたり、カーテンが少し開いているショットを目にして、ほんの少し息を潜めるだろうし、
彼女が心の内を話す場面では、写真という媒体を使うことによって「これは彼女の断片を少し覗いただけなのだ」と冷めた温度で受け止めることができる。
 
また、彼女が歩く街の遊具やフェンスはずっとそこに存在しているが、マルヤマは蝶のように同じ場所にとどまらず、もうそこに存在しない。その対比をゆっくり、曖昧な映像と音の質感によって表している。

仲原かれん(19)
    
東京造形大学 グラフィックデザイン専攻在学
 
略歴
東京都立工芸高校 デザイン科 2021年卒業。
今年度は積層や連続を題材とした作品を制作中。


 

穂苅真澄

 
過去が、彼女自身に影響したものを大切にしている。そんな大切がない状態で、それなりに普通に今を生きていることを自覚する。それから未来を予感する。かき集めてはいられないが手放しもできない、むず痒い思考をほじくり回した証拠が全部全部観せつけられた。爪の先っちょくらいしか彼女に触れていない私が、彼女の1番柔いところに触れてしまった。きっと常時晒されているけれど、誰も触れはしないで息を吹きかける。そんなところを怖いくらい素直に触らせて、触ってしまった私は怖かった。彼女がどうにかなってしまいそうで怖かった。だから触れたくなる。怖いから触って確かめてみたくなる。そういうずるい温かさのある映像だった。

穂苅真澄(19)
 
東京造形大学 映画映像専攻在学
 
略歴
埼玉県立芸術総合高校 映像芸術科 2021年卒業。