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(私の愛)と(その形)を巡る

愛の形
PAENG GAHEE

 



PAENG GAHEE
生年月日 2000.12.20
国籍 韓国
東京造形大学 在学中
 
 

 
作品解説

 愛、愛は経験してみないと分からないものである。愛を経験する前に、私は愛に傲慢で計算的で受動的だった。 幼稚園に通っていたあの頃、初めてときめきを感じた少年に、恥ずかしくて声をかけられず、目が合ったら「びっくりした!」と叫んだ幼い少女を未だに胸に残している。中学生になった頃も、私は意外と好きという気持ち、愛する心に対する疑問を抱いたことがほとんどなく、ただの好奇心と、初めてされたもっともらしい告白がただただ面白いだけだったようである。

 胸が痛いという言葉は何だろう。自分ではなく、自分と血が一滴混ざっていない人によって心が裂けるような痛みを感じるということは何だろう。私に愛は、誰かが胸に染みるほど痛い愛の経験を盛り込んだ悲しくて美しい歌詞の歌を、ただメロディーが良くていたずらに口ずさむ、そういう幼い少女の遊びの種に過ぎなかった。 そして高校、初めて「あ、私が誰かに会っているんだ」そして「私が恋をしているんだ」と、そのように感じた。しかしそういう気持ちと同時に私の中には自分にも掴めない執着と傲慢がいっぱいになって、知らなかった自分の中の子供のような下手な姿が、私が初めて感じたその愛を一切れずつ壊していた。 一度馬鹿みたいな初恋の痛みを経験してからも、私はその痛みがどういう意味なのか分からず、消えない傷跡として残るかもしれないその大きい傷を知らないふりをして、薬だと勘違いされるものに慰められようともしながら。そう忘れようとする途中、私はむしろその傷から心が慣れ、思わず幼い大人になっていたのに気づいた。

 愛、愛は経験する前には、とても簡単に見えて、また軽く見えて、いつかその気になればまたやり直せるように感じられ、そう自信を持って過ごしてしまう。しかしその愛は、明るい日差しに目が覚める朝、大勢の人混みの中を歩く昼間、ただただ寂しいだけの夜、青色を帯びた冷たい夜明けにも、慣れ親しんだ習慣のように、その時のその心を、記憶を、何度も想起させて、心に満たされない空間を広げて、その虚しさに染み込ませる、そういう恐ろしい傷跡になっていた。

 しかし、そんな愛を慰めることも結局愛である。二十歳を過ぎた今の私はまた恋をしている。 人の人生には本当に運命というものが存在するのだろうか。 幼い頃のおぼろげに、もがいていたその愛を、二十歳になっても振り返っていたその恋を、私は、結局、その記憶を忘れ、その傷跡を隠す恋をしている。 私はたった二十歳でこんなにも恋をしてきたと自負したのに、一度も愛を経験したことのない人に、一度も自分が与えたことのない愛の形をもらっている。