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(感覚)と(間隔)を巡る


menilu
側見来留



プロフィール
側見来留

2001
長野県生まれ。
東京造形大学 映画・映像専攻在学
 
高校の時、「アインシュタインの夢」という本に興味を持ち、そこからその面白さを作品にどうしたら起こせるのかを考え制作を始めた。現在は、インスタレーションと映像を軸に自身の捉え方を作品で変えられないかを模索している。
 
過去作品
2020 インスタレーション作品「lino」
2021 インスタレーション作品「揺れる隙間」
2022 インスタレーション作品「骨子」
   インスタレーション作品「i non memini」
 


作品解説

今回の作品は時間と空間と認知の三つの要素に焦点を当てて、その関わりを様々なアプローチで刺激していくことを目的としました。本作品の三つの短編映像はそれぞれ私自身が日常生活の中で感じた感覚の一部を作品に落とし込んでいます。
「001 時間感覚」では見えては消えていく視界と反復する音という二つの要素から感覚に呼びかけ、時間の感覚を身体に覚えさせることは可能なのかという問いを模索していきました。
「003 認知」では軸として根底にある意識とそれを伝えようと表に出した時にブレていく感覚、認知の歪みのようなものを映像の構造に落とし込む試みを行いました。
 
フラットな視点を改めて見つめ直し、そこに生まれる問いの中で何かを見つけることで、私自身の悲観的な視点や生きにくさを突破できたらなと言う思いから制作しました。
 
001 時間感覚
002 音感
003 認知


鼎談作家プロフィール

西村茉亜子
2001
長野県生まれ
武蔵野美術大学 油画学科在学

現代絵画に挑もうとしている人。
最近は一枚絵ではなく、絵画を散らばせることに興味がある。


宮田紗花
2001
長野県生まれ
京都芸術大学 写真・映像コース在学

ずっとセルフポートレートを撮っているひと。

鼎談

時間、空間、認知について

側見来留
西村茉亜子
宮田紗花


行きと帰りのトンネル


側見「私は時間と空間と認知ってことにすごく興味があって、そういう要素に焦点を当てて、何かその関わりみたいなものをいろんなアプローチで刺激するような仕組みを作品で作っていけたらなと思ってる。今回の作品の中の一つの映像で時間感覚を覚えるっていうものがあって(001 時間感覚)。音楽を聞いてるとさ、時計を見なくても、耳だけで時間感覚が分かるじゃん。 それってちょっと面白いなって思って。音楽は覚えてるからなんだけど、それを実際にもうちょっと、 同じことの繰り返しをこう…見せることで体に反復させて、その時間感覚自体を覚えることは可能なのかみたいなことを実験でやってみたくて。で、映像の中では三つのフェーズがあって、それをまた3回繰り返すんだよね。 一番最初、1フェーズ目はサブリミナル的な映像と、あとすごい特徴的な音楽が鳴ってて。信号機で流れてるような音楽ね。それでその下にタイムコードが流れてるみたいな状況が起きている。それが、15秒で止まるようになってて、象徴的な写真 が出てきて1フェーズ目が終わる。」

西村「うんうん」

側見「この写真の情景は何ていうんだろう。この作品自体の発想のもとになったトンネルの話があって、相原に行くまでのトンネルなんだけど行きと帰りで、同じトンネル通ってるんだけど、帰りのときってめちゃめちゃ長く感じるんだよ、疲れてるから。 毎日、身体的に疲れてるからすごく長く感じているんだろうなと思ってたんだけど、話を聞いたら実際には行きと帰りで別のトンネルを通ってるらしくて、本当に帰りのトンネルの方が長かったんだよ。それが衝撃的で。何かそういうことも指すものを作品に取り込みたいと思ったの。で、この写真はトンネルを抜けた直後に視界が開けるような力がある景色だと思ったから入れたのね」
 


規則性からちょっと外れる


側見「ちょっと話が脱線しちゃったんだけど、今度2フェーズ目では1フェーズ目の音とタイムコードだけが残っていて全く同じことが15秒間起きる。そして3フェーズ目で、全く画も音もない状況でタイムコードだけが流れる。ここまでの流れが一括りになって、これが三回繰り返されるの。2回目はタイムコードなしでまた同じさっきの一連の映像が流れるんだよね、映像と音との3フェーズの繰り返し、そして最後に同じ写真が同じ15秒で出てくる。
そして最後の3回目は途中まで2回目と全く同じことが起きるんだけど、最後の画も音も何も残らないところで、一番最後の写真が出てくるのが5秒だけ早く出てくるの。その後に1フェーズ目で流れたタイムコードが現れて、15秒にはまだいってないのに写真が現れていました!ってネタばらしをしてるというか、。その何もない視界で5秒時間が早いっていうところに身体的な違和感が生まれるのか。ということを考えていて」

宮田「え、ズレてるってこと?イメージと音が」

側見「いや、3回同じことを繰り返しているんだけど一番最後だけ、ちょっと時間が早く終わる。今までの規則性からちょっと外れるっていう」

宮田「あ〜そう言うことか」

側見「そうそう」

西村「 3パターンあるってことだよね。きっと。5秒速いのと元のみたいな」

側見「そう。それをそう3パターンあるのを3回繰り返してて、これがね同じ数字にしたのがちょっと複雑にしているんだけど」


側見「うーん。こうした、時間、空間、認知みたいなことが好きで集めていること自体が自分の存在意義に掛かってきているところがあって。そこに対しての思いみたいなことを考えるとすごく迷走しちゃう。なんだろう…」

宮田「でもさ、そこに気づけるってことが…自分のポイントになるところって言うのは側見さんの根幹になるところだから焦んなくてもいい話なんだと思う。人生かけて問い詰めて言っていいテーマなんだろうなってすごい思った」

側見「うーん。そう…そうです」
宮田「すごくその人がそれについて寄り添った時間みたいなのが分かる作品の方がなんか美しさを感じたりだとか、いいものを見たなって思うよね」
側見「わかる」


感覚と間隔


側見「ちょっと漠然としてて難しいと思うんですけど、感覚と間隔ってものと、空間、時間、認知ってことに対して最近思ってることをみんなで話していきたい。
ちょっと話を広げるために、昨日思ったばかりのことを共有させていただきますね。えーと、これは認知についてなんだけどこの前、眠りに入る直前に母と電話していて、なんかもう半分ぐらい寝てて。そういう状況での会話で、私の覚えている感覚的には普通に会話をしてたんだけど、後から話を聞いてみたらもう、ものすごい支離滅裂なことを言ってたらしくて。なんかボルタンスキーと、ヤニス・クセナキスをジャガイモのカロリーに換算して、比べるのはどうだろうって話をしたらしくて」

西村「めっちゃおもろいそれ」

側見「自分でも面白かったんだけど。なんかこう、ちゃんと自分の中で話してた気ではいたのね。でも相手からしたら…」

宮田「なんかそれはね、すごくわかる。意識では何か、自分の保ってる理性みたいなところ、自分の意識ではすごい全然普通なんだけど、無意識のところでもう全く全然駄目になってるって言うか…」

側見「そう!」

宮田「どっちなんだろう意識が駄目になってるのかな」

側見「それ面白い。意識が駄目になっているのかな。無意識なのかな」

宮田「無意識が駄目になってるんじゃなくて、意識が駄目になってるからそうなっちゃうかな…ジャガイモの話をしてしまったのも」

側見「そう。それってすごく面白いなと思って。なんか最近、認知のゆがみっていう言葉をよく聞くんだよね。そう思い込んでるだけかもしれないけど、私達は認知がちゃんとしっかりできてるって思ってるところで、認知のゆがみを知ることはできないだろうけど、何かそういう感覚、歪んでる感覚みたいなことをこういう形でなら体験することができるのかなってのはすごい思って」


宮田「私も最近そのブック作る授業で作った作品 の内容が何かそういう感じだった」

側見「うん」

宮田「なんか時間と記憶の層みたいなのがあって、情報の整理するときに脳みその水がすごい速く流れる感覚が私はすごいあって高校生の時に、 なんか超眠くなって ぐわって眠た後ってすごい頭が「サッー」ってしてなんか痛くなるんだよ。ちょっと水が動きすぎて、何かそれが起こった後ってさっきまでめっちゃ頑張ってたことが何だったのかもわかんなくなって、なんか忘れちゃうんだよね。眠いときの前後の記憶みたいなのが」


宮田「何かその作品で作ったのも、なんかそういう感じだった。なんかイメージが水に溶けて見てるのか見えてないのかわかんないけど、そこにあるのは確かみたいな感じの作品。
なんか自分の感覚的なものがそのまま上手く現れてた感じがして私は好きだったんだけど。
でもね、それのきっかけになったのはさ、この前みんなで認知症の人の感覚がどうのこうのって話したのが結構、 種になった感じはした」

側見「意識が駄目なのか無意識が駄目になってるのかっていう。面白いね。どっちなんだろうね」







素材:エコペーパーにインクジェット/アクリル
制作年2022/06/20

「さっきまでみていた夢のように
その時受けた衝撃は
いつの間にか変わったものになって、
いつの日か忘れてしまっていました。
今日がいい日になったのは、
ひとつひとつの解像度が
高いからでしょうか。
ものすごい眠気に襲われたと思ったら、
つい先ほどまでのことを忘れていました。
そして毎晩脳みその水とともに、
情報は整理され、
どこかへ流されていきます。
私の身体は7 年後には
全ての細胞が入れ替わり、
今日と同じものは残っていないと聞きます。
今日の自分は
何で構成されているのか、
10 年前はなにでできていたか、
10 年後はどんなだろうかと
頭の中で考えます。」


誰を抱きしめてるのかわかんなかった


宮田「なんかさぁ、私ってさ小さいときからさ、お母さんの隣で寝るのが好きで抱きしめあって寝ているんだけどさ、抱きしめたりとかしてるとさその人の顔見えなかったりするじゃん。その至近距離で抱いてるから。何かそうなったときに何か、この前、 京都に行った時いつも通りそうやって寝てて、けど起きたときに、今誰を抱きしめてるのかわかんなかったんだよ」

側見、西村「うん」

宮田「だけどなんか、抱きしめ合ってるってことはそれなりに信頼関係があって…っていうことがお母さんじゃない人ともあって。で、なんかわかんないんだよ起き上がってみるまで、その今私が抱きしめて寝てる人が誰なのかわかんないってことが結構あって、なんかそれが自分でも何か言葉でうまく言えないけど、めっちゃすごい不思議な体験だった」

側見「面白い」

宮田「わかんないっていうのを普通に考えたらやばいじゃん。なんか」

側見「やっぱ起きた直後ってなんか意識か無意識かが抜け落ちてて、その状態で起きた瞬間にちゃんと自我が戻ってくることって難しいよね。結構時間がかかる」

宮田「それが、その情報の整理をするときにも何か似たようなことが起こってる気がするんだよね。なんか夢なのか現実なのかどっちかわかんないって経験がおそらく私は2人よりもあったんじゃないかなってすごい思う。っていうのも、なんか私が持ってる病気が、睡眠障害みたいなものだったから、 なんか、めっちゃ寝ちゃう、寝たくないのに寝てしまう時とか、やっぱ我慢するじゃん、睡魔に襲われながら。そうするとさっきの側見さんみたいに、私は一生懸命話してるつもりなのに、支離滅裂なこと言ってるみたいなのはすごい分かるって言うか」


魔法さん


西村「なんか私も支離滅裂なこと…なんだろうな。寝てる状態でっていうのはあんまりないんだけど、講評のときとか、作品に対してとか普通に人と話してても、言ってることが伝わってないなっていうふうに伝わってないっていうか…なんだろう。よくわかんないこと言ってる人だなみたいなふうに思われてるんじゃないかなっていうのはすごい思うときがある気がして。何か言葉が伝わりにくい表現というか、自分が正攻法で行きたくないっていうのもあるんだけど、ずれてる人っていう感じで思われている気もするなって思ったりするときがある」

宮田「何かその一般的な感覚みたいなのはやっぱり、本当に似たような情報源をたどってたりとか例えばテレビとか、YOUTUBEで同じようなチャンネル見てたりとか」

西村「そうそう、 何かそういう、一般共有されてる知識とかイメージとかが多分ずれたことを言ってるのかなっていうのはあったりして。そういうのはすごく感じるときがあるというか」

宮田「だからやっぱり、その作品を作ってる人ならではの言語感覚みたいなのもあるよね」
西村「そうだね」

宮田「でもなんかねたまにいるんだけど、なんかスッゴイ魔法の言葉みたいなことを言う人がいるんだよ」

西村「ほう」

宮田「なんか普通だったらこういうふうに話してるじゃん。だけどその中にその人が口ずさむ一言一言が誰も使わない、その人しか喋らないこと…なんだけど、何か伝わるんだよみんなに。だから魔法さんって呼んでるんだけど」

側見「ふふふ」

宮田「最初妖精さんだと思ってたんだけど、どうやら魔法さんだったなって最近気づいた」


単位の小さいアイデンティティ


西村「なるほど。なんかその言語感覚の話で、日々思ってることがあるんだけど、その人が使う言葉とか話してる言葉ってやっぱりその人のバックグラウンドが表れてるんじゃないかなっていうことを思って、例えば方言とかもそうだし。あとは何だっけな、この前すごい汚い水道台があったんだけど。「これめっちゃ汚いよね。」「うん、これ汚い」みたいな話を人としたときに「ボウフラめっちゃ湧くよね」っていうふうにその人は言ったんだけど、私は日常的にボウフラっていう言葉を使わないんだよね」

宮田「なに?ボウフラ?ボウフラ?」

西村「虫?」

側見「あの、蚊の赤ちゃん?」

西村「うん。イメージでしかないけど、多分その人は関西圏の人で方言めっちゃ使うんだけど、そういう生まれ育った環境みたいなところで、例えば家族の人がすごくボウフラって言ってたりとか、友達がボウフラっていう言葉を使ってたり、もしかしてすごい最近ボウフラっていう言葉を取り入れたのかもしれないんだけど。なんかその言語を使ってる言葉でその人の背景というかアイデンティティ…?そんな何か、単位の小さいアイデンティティ、個性?性格?みたいなのが現れるなっていうのをすごい思った」

宮田「単位の小さいアイデンティティ… すごいわかる」

西村「アイデンティティっていうと例えば黒人とか白人とか黄色人種とか、なに系アメリカ人とかそういうでっかいものをイメージするけどもっとその小さいところで、長野県人とか」

宮田「だから何かその魔法さんとかもさ、一般的に使われる会話表現の言葉っていうよりはどっちかっていうと詩的な感じなんだよね。でも、すごく自然に文章を読んでいるみたいな感覚で、何か私が朗読を聞かされているかのような感覚になったりとか。それは、その人が大学が文芸系の人だったから。すごい本を読む人、書いたりとか、だからなんかその言葉の使い方っていうのが、 会話にすごく表れているのが特徴的だったんだよ」

側見「なんか、それめっちゃ思う。またちょっと規模が大きい話になっちゃうんだけど。言語の違う言葉との完全な翻訳っていうことは多分ないんじゃないかって最近思ってて。例えば、「よろしくお願いします」って言葉って日本独特らしくて、英語だと同じことを表現する言葉はないんだって。確かに、「よろしくお願いします」を説明しろって言われたら、何か今後の繋がりを示す言葉っていうのかな…よろしくお願いしますって何なんだろうなとかすごい思ったんだけど。 以後、私との関わりがあることの表明というか…」

側見「日本人だからっていうよりはもうその言語の独特の表現だよなって思うから、多分育ってきた文化圏とか、そういうのが違うってことで、言語が違うのは当たり前なんだけど、言葉の中に生きてきたその人たちのアイデンティティみたいなことの違いがやっぱり明確に出てるんじゃないかって思う」

宮田「似たようなような経験とかはしても、全くシンクロするみたいなことはやっぱないんだろうねっていう。なんかやっぱりその人の体の作りとか、例えば身長がこれぐらい違うからとか、そういうレベルで同じ日本人でもやっぱ違うんだろうね」

側見「そうだね」

西村「うん」

宮田「なんか完全にシンクロすることなんてあるのだろうかって感じだね。そう考えると」

側見「それが言葉にも出ているってのが面白いよね」

西村「本当にそう思う」

側見「一つの表現、人と繋がるツールである言葉にも、それぞれが 同じものを使ってるようでいて、実は全く違うものを用いてるみたいな」

西村「何かそこから垣間見れるその人の情報というか、人柄っていうか、人となりが何か面白いよね」

宮田「その人がその言葉をさ、どういうふうに、どういう表情で話していたのかっていうのも あったりとかもするかもしれないし。同じこと言ってても、心の中で何を考えてるのかとか。そこからもう、圧倒的な差が出てくるんじゃないかな。そんな感じがする」

西村「言語っていうものとやっぱり身体みたいなのがもうすごく関係し合ってんのかな」

側見「そうだと思う」

宮田「言語感覚と身体感覚について考えるのはすごい面白いことだと思う」