五月の演目

頼政 (よりまさ)  (ぬえ)

鎮魂と修羅。
敗れし者の声。世阿弥の修羅能。

 
「頼政」 作・世阿弥 源氏の名門に生れながら、平家の政権に永く留まり、ついに反旗を翻し、宇治川の合戦に敗れ自害して果てた。宇治の閑雅な風景に現れた頼政の霊は自害に至るまでの宇治の合戦の様子を語る。

「鵺」 作・世阿弥 御所の帝を狙い、頼政に射落とされた怪物・鵺は、頭は猿、手足は虎、尾は蛇、鳴く声が鵺に似るという奇怪なもので、空舟に封じ込められ淀川に流された。その鵺の霊が現れ、自ら退治される様を語る。
 
出演:清水寛二(舞・謡)
策士:飯名尚人
 
日時 2024年5月26日(日) 開場 17:00 開演 17:30
入場料 3,000円(1ドリンク別)
 
会場:ムリウイ
東京都世田谷区祖師谷4-1-22-3F
小田急線「祖師ヶ谷大蔵駅」より徒歩7分
・アクセス方法 https://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/info.html

六月の演目

藤戸 (ふじと)

 

出演:清水寛二(舞・謡)
策士:飯名尚人
 
日時 2024年6月30日(日) 開場 18:10 開演 18:30
入場料 3,000円(1ドリンク別)
 
会場:カフェ アンリファーブル(座・高円寺 2階)
JR中央線「高円寺」駅 北口を出て徒歩5分
・アクセス方法 https://za-koenji.jp/home/index.php
 

 
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解説

 

能の最小単位を探る旅


能の様式を削るだけ削って、それでもこれは能である、というものを見つける実験もしくは挑戦。︎
季節、場所に合わせた演目で、毎月どこかで清水寛二がひとり能を演じます。

“二曲三体”
世阿弥の大事な演技論の一つ。伝書でも「至花道」や「花鏡」などに述べるほか、「二曲三体人形図」を残している二曲=舞+歌(謠)三体=老体+女体+男体シテの役に扮するについて大事な考え方だが、声についてはそれぞれの役について「横の声」「主の声」、また「祝言の声」「望憶の声」などを使い分け・混合させていかねばならない。シテ方の修行はそこであるが、実際は立ち方だけでなく、「地謠の声」も作っていかねばならない。(後見という役も修行しなければならないが。)役に扮している時も、地謡が謡っていてくれる時は、地謡にお任せだ。地謡は、なかなかに面白い。音色というだけでなく、拍をどうとるかも大事なこととなる。四体ともいうべきかそして、一人で一曲を謡う時、能の舞台では決して演じることのない「ワキ」の声は、自分で謡っていて、「あれ、これはワキになってないな。」と思う。しかし、謡ってみることが大事。さて「雪月花 しみかん十二月往来」ではどうか。

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これまでの演目

 

一月の演目

葛城 (かづらき)

出演:清水寛二(舞・謡)
ゲスト:松田弘之(笛)
策士:飯名尚人
 
日時 2024年1月11日(木) 開場 18:30 開演 19:00
入場料 3,500円+1ドリンクオーダー
会場:曼荼羅(東京・吉祥寺)

二月の演目

求塚 (もとめづか)

能と地獄。
若菜を摘む女…地獄で苦しむ女…
清水寛二が熱く恐ろしくも美しく
ひとり能を演じます。

 
出演:清水寛二(舞・謡)
策士:飯名尚人
 
日時 2024年2月11日(日) 開場 14:30 開演 15:00
入場料 3,000円(1ドリンク付き)
上演後、座談会あり。
 
会場:スタジオ サイプレス
〒165-0027 東京都中野区野方2-24-3
JR中野駅から徒歩約18分、JR高円寺駅から徒歩15分)https://studiocypress.tokyo/wp/access/
 

[しみかんノート]

 
何百年も上演されずにきて、現代に上演されるべき作品として復曲された、その一曲を通して謡って、聞いていただいて、では、能というものがどういうものなのか、どこが面白いのか、音曲としてどんなふうになっているのか、戯曲の構成はどうなっているのか、もちろん一人でやるのは無理なのですが、一対一でお聞きいただいたら、かえって何かわかるところがあるかと、やってみます。この復曲にも関わっていた先代銕之丞師の『求塚』の前ツレの菜摘女を何度か勤めましたが、「重い曲だからといっても、この場面は若い女の子たちがキャッキャと若菜摘んでいるシーンだから重くなってはいけない。」と毎回どんどん軽くなっていきました。 そう、師は年間かなりの数の能を舞っていらしたのに、銕仙会の舞台でご自身の能の前に稽古をされているのをほとんど見たことがなかった!(何時稽古していたんだ!)だったのですが、ある『求塚』の時「作り物を作っておいてくれ。」と言われ、「おっ!」と思って作っておきましたら、後場の“あるシーン” だけ鏡の間で何回かなさって、「ありがとう。」でおしまいでした 今日謡ってみて、なぜ少女は地獄に?について、そういうことかもしれない、とふと浮かんだこともあり、さてと…。

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私の学生時代、関観連(関東観世流学生能楽連盟)主催の学生鑑賞能(一般の方にもご覧いただいて)で、喜多流の人間国宝だった後藤得三師にお願いして、この『求塚』を上演したことがあった。そして、当時まだあった早稲田茶房の奥の座敷で、得三師にお話を聞く会もあった。その様子は頭の中に浮かぶのだが、しかし、残念ながらお話の詳しい内容を覚えていない。観世流と喜多流ではテキストなども少し異なるはずだけど、その比較もきちんとしたかどうかも覚えていない。ポスターなどのキャッチフレーズは、後シテ登場の段の「あら閻浮恋しや」(この後が「されば人、一日一夜を」)だったと思う。観世流で復曲した時に、華雪の意向で観世寿夫たちがテキストをかなり検討したはずだが、今この本となっていると、もうそれでしか『求塚』をとらえていない。遺憾なことかも。しかし、先代観世銕之丞師のツレを何回かやらせていただいたし、地謡もその地頭の下で何回も謡わせていただいたので、今日謡っても一緒に謡って頂いているような…。
 
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声のこと。
しみかん十二月往来で、『求塚』を一人で謡う。通常「素謡」としてこの曲を謡う場合では、「シテ」「ツレ」「ワキ」の三人が役謡で、他に「地謡」何人か要る。「二曲三体」の内、シテとツレは「女体」、ワキは「男体」で、地謡は「地ウ体」⁈一人で全て謡うとして、まあ、それぞれの役のところはそれとして三役+地謡を謡分ければいいのかというと、それだけではないようだ。
シテも前シテと後シテではずいぶん違うし、前シテの語りでは途中で人称が変わるところもあるし…。
シテとツレが、若菜摘みのシーンで一緒に謡うところは、まずはシテの調子としても、一人で謡っているところとは自ずから違って、複数の人が謡っているようでなければならないだろうし、もともとツレは2〜3人複数だから、ツレを謡うところも複数で謡っているように聞こえなければならないのだろう。
ツレが三人の場合、三人目は橋掛りから舞台に入って、地謡の前でなく、一人離れて角柱少し下に立つ時あり。この時はもう“聴き耳ダンボ” 。面・鬘つけて聞こえにくいし、五線譜の楽譜と違ってその時の流れの中で、タイミングや調子をピッタリ揃えなくてならないし。
そう、“謡本” は楽譜でもあるけれど、書いてないこともある。例えば、シテとツレの登場の段で謡う「上歌」の一句目「道なしとても…。」はシテ・ツレ全員で謡うが、囃子方の演奏する「打切」一鎖聞いての“返し” の「道なしとても踏み分けて」はツレだけで謡い、「野澤の若菜…」からまたシテが加わり全員で謡う。ツレだけで謡う部分はシテの調子よりいくらか高くサラリと謡って、次でシテの位に戻るようになる。さて、そう聞こえるか。
そう、ワキ・ワキツレ登場の「次第」には能の時は“地取” と言って、その後に地謡が拍子に合わせず低い声で繰り返す。これなども謡本には書かれていない。
また、この試みで、囃子の演奏もできるところは入れるとすると、笛(わずかだが)と小鼓・大鼓・太鼓の掛け声も別にしなければならないか。
そう、後見は謡だけなら全く関係ないが…。
まあ、無理は無理でやめておかないといけないが、しかし、能は声だけでも面白いですね。
雪降って、雪間の若菜を摘むことが、皆さんイメージしやすくなったかもしれません。当日は雪降るとちょっと道が…かもしれませんが、寒い中いらしたら身体の中から温まるような飲み物を用意しておきましょう。どうぞ!

三月の演目

隅田川 (すみだがわ)

子を尋ぬる狂女。
春、夕暮れの隅田川、女を乗せた舟がゆく…
我もまた いざ言問はん 都鳥

 
出演:清水寛二(舞・謡)
策士:飯名尚人
 
日時 2024年3月5日(火) 開場 18:30 開演 19:00
入場料 3,000円
 
会場:両国門天ホール
〒130-0026 東京都墨田区両国1-3-9 ムラサワビル1-1階
・JR「両国駅」西口より徒歩5分
・地下鉄都営大江戸線「両国駅」A4、A5出口より徒歩10分
・地下鉄都営浅草線「東日本橋駅」より徒歩10分

制作協力:(株)マルメロ


[しみかんノート]

三月、隅田川・両国橋のたもとにて 観世元雅作『隅田川』を。
「げにや人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道に迷ふとは 今こそ思ひ白雪の」「すでに月出で川風も はや更け過ぐる夜念仏の 時節なればと面々に 鉦鼓を鳴らしすすむれば」「東雲の空もほのぼのと 明け行けば跡絶えて 我が子と見えしは 塚の上の草茫々としてただ 標ばかりの浅茅が原と なるこそ哀れなりけれ」
隅田川は 今日も 滔々と流れている。
 
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『隅田川』のワキが、隅田川の渡し守=船頭さん。「村の渡しの船頭さんは今年60のおじいさん」⁈いや、ただの爺さんではなく、あ、いや、う、今や、70も爺さんではないけれど…。ワキは、シテ方である私は、残念ながら実際の舞台では演じることはできない。そして、例えばワキ方の下掛宝生流の詞章と観世流謡本の詞章は異なるところあるので、一曲稽古する時に、観世流の本でやっていると、いつも舞台で聞いているワキの言葉と違って、あれ、あれ⁈となることも多い。この隅田川も。小山弘志先生の小学館謡曲集の頭注に1600年頃の「車屋本」の詞章が出ているが、それと比べてみると、例えば。曲の冒頭のワキ登場*現行観世流「これは武蔵の国隅田川の渡守にて候。今日は舟を急ぎ人々を渡さばやと存じ候。又この在所にさる子細あって。大念仏と申す事の候間。僧俗を嫌はず人数を集め候。その由皆々心得候へ。」*車屋本「これは東国住田河の渡守にて候。さてもこのわたりは武蔵下総両国の境に落つる川にて候。この間の雨に水けにみえて候ふ程に、旅人の一人二人にては渡し申すまじく候間、人々を相待ち渡さばやと存じ候。」 両国!ワキツレは、観世流では都の人だが、車屋本では、東国方の商人!ワキの大事な舟中での”語り”ーここでシテ狂女の子供が一年前にこの隅田川の河岸で死んだことが明らかになるーもいろんなところで少しずつ異なり、観世流の本で謡っていると、聞きなれた下掛宝生流と違って、あれそうだっけ?言いにくいね!となる。下掛宝生流の詞章、抑揚は、現実の人間の役、受ける役として、実によく練られている。ほかにもいくつかの場所で、では、一人で一曲を謡うという、今回はどうしようか、と思うところあり。さて…。門天ホール、定員は少ないです。約30人? 小さなところできっちりやるべきこと。

四月の演目

小塩 (おしお)

春の夜の亡霊…
恋多き男、在原業平が
桜咲く小塩山でかつての恋愛を想う

 
出演:清水寛二(舞・謡)
策士:飯名尚人
衣装協力:さとうみちよ
 
日時 2024年4月14日(日) 開場 16:30 開演 17:00
入場料 3,500円(1ドリンク付)
 
会場:葉月ホールハウス
〒167-0041東京都杉並区善福寺2-30-19
・荻窪駅、西荻窪駅、吉祥寺駅、上石神井駅からバスまたは徒歩で。
・アクセス方法 https://hazukihh.exblog.jp/8858048/

 

 

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アーティスト

 

謡・舞

清水寛二

能役者。早稲田大学在学中に山本順之の指導を受け、銕仙会(てっせんかい)に入門。故観世寿夫、故八世観世銕之丞、九世観世銕之丞に師事。銕仙会や西村高夫と共宰の「響の会」などで古典能の上演を続ける一方、新作能 『沖縄残月記』『長崎の聖母』『望恨歌』『ヤコブの井戸』などの演出、シテをつとめる。佐藤信演出『霊戯』、田中泯演出『カラダハコレカラダ』、小池博史演出『風の又三郎』など現代劇や琉球の組踊、韓国の農楽などの伝統芸能との共同舞台にも取り組んでいる。2018年よりピアノの高橋アキらと青山実験工房を催している。東京藝術大学非常勤講師。座・高円寺演劇創造アカデミー講師。

策士

飯名尚人

映像作家・演出家。2002年にDance and Media Japanを設立し、ビデオダンス専門の映画祭「国際ダンス映画祭」を主宰。オンライン舞踏番組「Re-Butoooh(リブトー)」編集長。東京造形大学准教授。映像・言葉・身体を融和させる演出法による作品を制作。演出作品の『アジール』(西松布咏主演・2011)は各地の寺院にて上演された。監督作品のダンス映画『三』は、Jumping Frames (香港・2022)にてアジア賞受賞。大野慶人のドキュメンタリー『愛の夢』は、国際ポートレートフェスティバル(ブルガリア・2022)にて優秀作品に選ばれた。舞踏家・今貂子との共同作品『おんなのぼくしさん』を制作中。

 

 
 

映像

撮影・編集 飯名尚人


 
 

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