Daydream
Artist: YANG HENGSI
10'36"
作者から・・・
私は部屋の中にいる。
宇宙の中に地球がいて、地球の中に日本がいて、日本の中に東京がいて、
東京の中に部屋がいて、部屋の中に私がいる。
部屋が私を呑み込む。
私の肉体、私の魂
全てを呑み込む。
その映像は、私の白昼夢のドキュメンタリーです。
I am in a room.
The earth is in space, Japan is in earth, Tokyo is in Japan.
There is a room in Tokyo, and I am in the room.
The room swallows me.
My body, my soul.
Swallows it all up.
The video is a documentary of my daydream.
50平米は大きのか?
コロナの影響でネット授業が始まり、私はバイトも社交もやめて部屋に五ヶ月以上引きこもった。物理的に生活空間が縮んたはずだが、広く感じる。50平米の家は宇宙で、私の部屋は銀河系ぐらい広く感じる。そもそも私の認知宇宙を現実に置いたら50平米ぐらいしかないかもしれない。
私はモンスターボール
宇宙から見たら、私の部屋が豆粒よりも小さいだろう。
豆粒を寄生している、宇宙塵のような私は今、部屋を超えて宇宙を見ている
宇宙は私の頭の考えの一部になっている。
宇宙は塵になる。
空気は生き物
皮膚は空気を感じる。
死角
部屋は時間の監視から一時的に逃げれる唯一な場所
時間は自分の存在を証明するために、季節、昼夜の転換を作り出した。人ごみの流れ、スケジュールの内容、電車の音、時間はその中に存在していた。
部屋の中にはその全てが無意味になる。
われ思う、 故にわれあり
私の部屋、深夜のコンビニに行く道、私の思考がそこに存在する。
私はそこに存在する。
思考が私の存在証明であり、私は思考の中で生き、思考の中で死ぬ。
思想は死んでも生き返る。死んで生き返る過程こそ思考の生。
私の死後、いつか私の日記を読む人が現れる、私の住んだことある部屋を住む、その時に私は新たな生を得って、生き返る。
作品解説
感情的なものを具象化したくて、直感と感情任せに作った作品です。
自分が物事を考えるのが好きで、特に部屋の中にブラブラする時が一番考えが浮かぶのです。そのときは時間も空間も静止しているような感じがして、周りの事物に呑み込まれそうな感覚がします。自分は毎日一度、部屋の中に死んでいたかもしれません、私の肉体の中から生えた思考が私自身を呑み込む、呑み込まれた私はまだ思考の中から生き返っていく、その全ての過程は部屋という空間の中に進行して、部屋は私の肉体の容器であり、もう一つの肉体でもあります。その曖昧な感覚を映像にすることができるのかを試しに撮ってみたらこの映像になりました。
映像作る経験や、知識もまだまだ不足だったので、撮り方や編集の仕方はバカバカしいだったかかもしれませんか、肉体と空間を一体に見えるような感覚が一瞬でもありましたら、嬉しいです。
作家プロフィール
楊珩偲
2000年 中国四川生まれ
2015年 日本に留学
2019年 東京造形大学 造形学部デザイン学科 映画映像専攻入学
批評
唐セン
立教大学現代心理学部映像身体学科二年
コロナのせいでロックダウン中に、人間の活動範囲がだんだん縮んで、部屋は突然我々の全世界になった。長い間外部との隔離、肉体と魂が閉じ込められた人間はどうやって身を処するか、閉ざされた部屋、一時停止する生活より増幅された孤独感、現実と虚構の間にあるまるで白昼夢のような状態を描くのがこのドキュメンタリーだ。最初の服を着るところ壁に映る三つの影は、フロイトより提唱された心的構造論を暗示できたと考えられる。快楽原則に基づくイド、現実原則に基づく自我、道徳原則に基づく超自我という三つの私。普段の日常生活では、自分はいつもその超自我の私で、意識的に自分の衝動、欲望を抑圧する。しかし、全世界、宇宙さえも50平米の部屋に圧縮された時、世俗的な見解と束縛がなくなり、自我が覚醒した。ゴタゴタした生活、ざわめく世界を傍らに置き、自我である私は50平米の宇宙で一種のバランス、心の安定を見つけようとした。片隅に丸くなったり、狭いクローゼットに横になったりする自我の私。しかし、繰り返す変化されない生活の中で、小さな宇宙に囚われ肉体、焦って動く足指と手指、口を開けて大きく吸う空気から、自我の不安と孤独、溺れるような窒息感を感じられた。
ベッドや床に散らばる紙切れは恐らく自我の気分と思考、つまり魂だろう。時間の経ちにつれてだんだん世界、宇宙に蔓延し、水いっぱい入れたグラスに落として、空気の中に溶け込む。この宇宙は、原始的欲望を充足するイドを受容すると共に、現実に基づいて生み出した自我、それとも自我の魂も全て受け入れて呑み込む。すると、物理的に50平米しかない部屋は、自我の全てを乗せてくれたので広く感じ、まるで銀河系ぐらい広く感じられる。一部の魂は時間や空間の変化に従って水に濡れてこぼしたり、空気の中に消えたりする一方、そのまま宇宙、世界に残る魂も存在する。雑で乱れる現実空間の中で、不安と孤独が溢れる魂から逃げようとするため、そこから肌着のパジャマを抜いて着る。そして、自我は転生する。そして、また私になる。