chapter
02'42"
Artist: Miharu Mori
Curator: Uta Miyata
作品解説
森 美春による本作品は2年前の冬に作られた。
プロフィールに記載されている通り、他にも映像詩として3作品を制作しており、本作が4作目になる。
同じ映像詩である、これらの4作品は映像の使い方に変化があった・・・
決して止まらない、鮮やかな映像
映像詩part1、part2では詩がメインで、静かに流れていく街の一角を切り取った心地よい映像だった。
しかし、part3から本作の『chapter』はそのイメージが大胆に変わる映像になっている。
自らが撮影した映像ではなく、フリー素材のみで映像を編集するという手法は、1秒先が予測できず目が離せない。
また、素材を使用することは、製作者は先入観を取り除いて、その映像自体の本質を見ることができるのかもしれない。
ドアに頭をぶつけた幼児が泣き出すシーンは「この泣き声、なんか聞いたことあるな」と思っているとそれが2回…3回…と繰り返されていく。
すると、「ああ、消防車だ」と気づく。
4回…5回…と繰り返されるとついに本物のサイレンの音が流れ出す。「来た!」と伏線回収をしてくれたようなスッキリさが生まれて、サイレンの音という不安定なものの中に、感覚的な遊びが感じられた。
サイレンの音の下がりに合わせて、女性がくるりと後ろを向くのも音にハマっていて面白い。
万華鏡をくるりと回すように、次のカットが新しい形となって現れる。どの素材をとっても、急に早くなることも、逆に遅くなることもなく一定に動き続けている。ループする電車、回転するリンゴ、遊園地の空中ブランコ、流れる雲、すべてに永遠のようなものを感じた。最後のサイレンの音がそれを助長している。それが遠くへ行って見えなくて、聞こえなくなったとしても、止まったわけではない。
一つ一つの言葉をポケットに入れたくなる
詩の表現は独特であるが、それらの持つ言葉の力強さは凄く、どこを切り取っても絵になる言葉の羅列である。
動画を巻き戻して読み直したくなるような。
わざとらしさを感じさせずに、さりげなく心に刺さり込んで抜けない。
冒頭では、人でもなく、AIでもない声が哲学的な詩を読み上げる。それが不気味な雰囲気を漂わせ、色彩の強い映像と共に、身体が不思議と異世界へ連れて行かれるような感覚になった。
私たちは今、どこにいるのだろう。
それは、考えると宇宙よりもっと深いところにある、心の中の世界なのかもしれません。
『chapter』が身体にもたらす感覚的な変化を目、耳、心から体感していただきたいです。
Commentary
This work by Mori Miharu was created in winter two years ago.
As shown in her biography, she already has created three works of video poetry and this makes the forth.
All being video poetry, but these four have difference in the use of the video image.
Non-stop of bright images.
In video poetry part 1 and part 2, words were the main feature, and the flowing images were very comfortable.
Where part 3 and this film “chapter” changed it’s impression dramatically.
Not using the clips she shot herself but the way free video material is used and being edited, impossible to predict what will happen next, you cannot take your eyes off the screen.
Or by using the free material, the creator may remove one’s assumption and see the video’s true form.
In the scene where a toddler hits his head against the door and starts crying, you think, "I've heard that cry before," and then it is repeated twice...three times...
Then you realize "Oh, it's a fire truck".
The cry goes on a several times, and then you finally hear the sound of a real siren. Bang! And it creates a sense of refreshment, as if it was foreshadowed, and then you could feel playfullness in the uncertainty of the siren's sound.
It is funny and feels just right that the woman spins around and turns back as the sound of the siren falls.
Like a kaleidoscope being spun around, the next cut takes on a new form. Every material neither speeds up nor slows down, but keeps on playing. Looping trains, the spinning apples, trapeze in the amusement park, flowing clouds, everything together feels like an eternity. The last sound of the siren emphasize this eternity. Even if it went so far away that I can't see or hear it anymore, it doesn't mean it had stopped.
It makes you want to place every word in your pocket.
The poems are unique in their expression, but the power of the words are amazing, and it's a picture-perfect string of words no matter where you cut them.
It makes you want to rewind the movie and read it again.
It sticks in your mind without being deliberate, and you can't pull it out.
At the beginning of the film, a voice neither human nor AI reads a philosophical poem. This gives the film an uneasy atmosphere, and along with the highly colored images, I felt as if my body was mysteriously transported to a different world.
Where are we now?
When you think about it, maybe it is a world within our minds which is even deeper than the universe.
Please sense the feeling “chapter” provides to your eyes, ears and heart.

作者から・・・
言語表現、特に詩の形態に興味を持っていた時に、ジョナスメカスの日記映画やフリー素材を使用した。
映像表現に触れて、映像詩を作り始めました。
今作品は、自分で撮影をしていないフリーで配布されている映像素材を編集していく過程で、
詩を編み出してみようと思い、油絵具を塗り重ねる感覚で編集画面と向き合っていました。
砕けて話すなら、正直心持ちは軽く、遊ぶように作ってました。part3※は特にその傾向が強いのですが、自分の思うユーモアを隠さずに作れたのかなと思います。
※part3とは、森美春が2018年12月に制作した映像詩作品、 本作を含む4作品の中で、3回目に制作された映像詩のこと。
作家のプロフィール

森 美春
1998年4月29日生まれ 22歳
東京造形大学映画専攻4年
高校で演劇を通して作劇や演出を始める。
大学では助演で携わる。
大学2年次では言語表現に興味を持ち、詩に関する制作を始める。
3年次から劇映画を主に製作する。
作品
2017年8月 映画「無題」監督・制作
2018年3月 映画「廻廊」18min 監督・制作
2018年5月 映画「自白」9min
2018年9月 学内発表公演 助演
2018年12月「映像詩part1」「映像詩part2」「映像詩part3」「chapter」(「映像詩part4」)
同年12月 詩集
2019年6月 はねるつみき「ばよんばよん と聞こえぬ」助演
2019年7月 映画「ブルース」20min 監督
2019年12月 映画「判ってくれない」21min 監督・制作
2020年2月〜 卒業制作・製作中
映像詩part1


映像詩part2


映像詩part3


キュレーター プロフィール

宮田雅楽
東京造形大学 映画映像専攻在学中
大学の授業を通して劇映画やテレビドラマの演出に関心を持ち、演出・脚本を学ぶ。
インタビュー
本作から少しだけ森 美春さんの脳内を覗き見ることができた。形式に囚われない詩や、映像からは遊び心や楽しんで制作しているのを強く感じる。
しかし、森さんはなぜ、自由な作品を生み出せるのだろうか。
インタビューを通じて、それは物事をひとつひとつ正面から捉え、考えているからからこそであることが分かった…
宮田「本作は、なぜ素材を使用した映像作品にしようと思ったのですか?」
森「そういうジャンルの映像が最近あって。自分が関わってない誰かが関わった映像を編集して、作品にするみたいなのがあって」
宮田「はい」
森「そこから着想を得て、やり始めたんだけど。撮影の素材を自分で撮るってなったら、例えば日課としてカメラを回してて、その中からこれなんか使えそうだな、って思って映像を作る人もいるかもしれない。だけど基本的に狙って撮ることが多いと思うのね。狙って撮って、不意に自分が予想していなかった映像が撮れることもあるとは思うんだけど。それでもやっぱり、思考の中で関連の近いものを撮っちゃうかなって。でもそれがフリー素材だと、なんのためにあんのこれ…っていう素材も多くあって、それをネットサーフィンしながら自由に映像編集に書き起こしていく時に予想していなかった思考体系が出来上がっていくのかなって」
宮田「そうなんですね。では、森さんの中にテーマが元々存在して、そこから素材を探したというより、面白いなと思った素材を集めて作品にしていったということなんですね」
森「そうだね」
宮田「確かに、素材自体に魅力があって面白かったです。サイレンのような泣き声の幼児とか(笑)最後のカットの女性が振り返る素材なんかは、つい目が惹かれるというか」
森「そうそう(笑)
だけど…私はメディアアートを極めているわけではないから、あんまり大きな声では言えないんだけど、思考の突発的なキラメキとかってあると思ってて」
宮田「はい」
森「それが綺麗に見れる作品と、わからないとかいうレベルじゃなくて作品になってないなみたいなのがあって。それって、作者のフックが微細ながらにも噛み合っていないとダメなのかなって思っているんだけどね。だから、正直適当に選んでるし、適当に編集していたりはするけど、この作品でいえば”ループ”とか”まわる”っていうことは意識していて。ビジュアル的な一致と、思想的なつながりは意識していたかな」
宮田「なるほど。”まわっている”という共通点は視聴者である私にも伝わってきました。何だか万華鏡をの中を覗いているみたいだなって」
森「ああ、良かったです(笑)」
宮田「詩を読み上げる声が独特ですよね。最近はiPhoneに入っているAIに読み上げてもらったりする作品なんかはよく見ますけど、これは違うじゃないですか。どうやって撮った声なのでしょうか?」
森「ボイスチェンジャーを何重にも重ねて撮ったもので。何って分かる声も嫌だったし、誰かの声も嫌だったから」
宮田「何の声なのか分からないというのがいい意味で不気味で、映像の世界観と合ってますよね」
森「ありがとうございます(笑)」
宮田「森さんに一番お聞きしたかった質問です。森さんにとって、”詩”とはどういうものでしょうか?」
森「詩に関しては、元々、映像の詩じゃなくて紙の媒体の詩をよく読んでたんだけど。”いぬのせなか座”っていう言語表現をする団体があって。そのいぬのせなか座とかがよくやるのは、世間一般がよくやるポエムとか感情論とかではないんだよね。漢字とか文字の持つ意味とかじゃなくて、視覚的に訴えてくる詩で、それがなんか面白くてしっくり来て。自分でも冊子とかを作り始めたりしてて、その時にこの映像詩も作ったんだけど。詩はね、なんだろう…。例えば、「今日何してきた?」って恋人とか友達とかに聞かれたとして「ああ新宿駅に行ってフライングタイガー寄って、映画見て帰ってきたよ!」って言うとして、その言葉に出さなかった時間を引き出すのが”詩”なのかなって思う。人に言わない方がわかりやすいことを引き出してくれるのかな」
宮田「なるほど、とてもしっくり来ました。それでは、最後の質問になります。森さんにとっての”映像詩”とはなんでしょうか?」
森「まあ、同じ意味でもあるんだけど。何だろう。映像に詩、言葉をつけるっていうことなのは勿論なんだけど、映像のランダムな繋がりが詩になる。鑑賞している人頭の中で勝手に詩になるものなのかなって。ジョナス・メカスの映像日記もそういうイメージ。
映像は鑑賞する人が自分の経験談で見るんじゃなくて、自分では経験したことのないような見たこともないような私(鑑賞者)・作者・作品の中の映像っていうトライアングルで存在しているのかなって。詩は、言葉っていう意味から世界を見いだしていく、逆に映像は世界から意味を見つけていくんじゃないかな。
プロセスが逆なだけで、得られるものは結局一緒だったりするとは思うんだけど。でも、それこそ万華鏡みたいな物なんじゃないかな。万華鏡って光が反射する角度が様々だし、届く対象も違ければ、幅も違う。万華鏡を覗いて、綺麗だなと思う人たちもいるし、その奥の景色を見ている人もいる。逆に何これつまんないと思う人もいる。そういうところが悪さでもあるし、面白いところでもありますよね」