武内靖彦インタビュー

武内靖彦 インタビュー

劇場からヒトを見た!ヒトを見た! って、
何百人も飛び出してくれば、一番いいんじゃない。

フリーペーパー『座・高円寺 6号』( 2011年8月発行)のための対話を全文掲載。

聞き手=飯名尚人|2011年7月6日収録

協力:座高円寺  
インタビュー撮影:久塚真央
舞台写真:神山貞次郎

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撮影:久塚真央

武内靖彦
たけうち・やすひこ/舞踏家。1947年福岡県生まれ。71年、高円寺会館で『単
独処女舞踏会』を開きデビュー。73年、大野一雄に師事。92年、師・大野一雄と
同時に舞踊批評家協会賞を受賞する。一貫して徒党を組まず個に徹し、独立独歩の道
を歩む。シリーズ「光と闇の教室」「重力の都」「素型原寸考」など、自主舞踏公演
を軸に、海外招待公演、国内フェスティバル、プロデュース作品など多数参加。芥正
彦、佐藤信、笛田宇一郎演出の演劇作品にも出演。
http://takeuchiyasuhiko.com/index.html

飯名尚人
いいな・なおと/Dance and Media Japanディレクター、プロデューサー。国際ダンス映画祭、マムシュカ東京等にプロデューサーなどで関わるほか、東京造形大学、名古屋学芸大学、座・高円寺劇場創造アカデミーで講師を務める。
http://dance-media.com/index_jp.htm
http://performative-performance.com/neppu/talk-1.html

[公演情報] 踏業四十周年記念独舞リサイタル 武内靖彦
舞踏よりの召喚

959093E0408EFC94N93C69591955C.jpg構成・演出・出演 武内靖彦 
2011年10月07日(金)~10月09日(日)
会場 座・高円寺1
詳細 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=501


飯名

初舞台(1971年)から40周年ということですが、現代は一つのことをずっとやり続けるには、エネルギーがとても必要ですよね。武内さんは40年間舞踏をずっと続けていらっしゃって。そもそも舞踏に引退なんてあるのかって思ったりするのですが、どういう心境なんでしょうか?

武内 

大野一雄さんを観ているから、引退は無いと思っていますけれどね。でも、舞踏やる人は適当に愚鈍じゃないと。その方があまり疑いを抱かずに続けられるというか。鋭敏で頭の回転が早い人は駄目だね(笑)。

飯名

座・高円寺にも劇場創造アカデミーという研修所がありますが、今は勉強する機会も結構、多いじゃないですか。情報もたくさんあって、芸術も勉強しなさいっていう時代に、どうしたら愚鈍でいられるんでしょうね。

武内

だいたい僕は鋭敏であるということを評価しないんですね。若い時はそれで何でもやれるし、めちゃくちゃもできるんだろうけども、それは若いということが分かっていないからで、歳をとってからの方が、若さというものがはっきりしてきます。自分がこの歳になったから、もちろん言うんですけれど、若いってのはダメだな。(笑)。

飯名

でも、例えば40年前に高円寺会館で初舞台を踏んだ時は、若かったわけですよね。

武内

その時は愚鈍じゃなくて無知だったの(笑)。無知のなせる業。

PICT1255.JPG写真:神山貞次郎

飯名

会場を高円寺会館にしたのはなぜですか?

武内

その頃、荻窪に住んでいたんですけれど、当時はやるところっていえば、スタジオや小劇場はあまりなくて、だいたい平土間だったんです。それで、たまたま高円寺開館に知り合いの演劇の公演を観に行った時にそこが舞台だったので、舞台でやりたいと思ったんです。

飯名

お客さんの様子はいかがでした?

武内

1971年っていうと、まだ「ぴあ」がありません(注:1972年創刊)。つまり観たいものは自力で探すわけです。だから観る側もがつがつしていましたね。会場の外階段に並んでいるお客さんを、高架線を走る電車の中で見た人が、なんだろうって駅で降りて並んだ時代ですから。一日で300人くらい、満席になりました。

飯名

当時、舞踏というのは、一般的にはどんな風に受け止められていたんですか?

武内

どちらかというと、化け物扱いですね、疲れた婆娑羅大名とか、異装怪異とか(笑)。風俗の底辺にいるみたいな感じでしたね。

飯名

それでも探し求めて来る人がいる。

武内

来るんですよ、怖いもの見たさから。なんだか見世物小屋みたいなイメージで、芸術の香りとは程遠かったですね。

飯名

これまでやめようと思ったことは?

武内

無い。

飯名

続けていることに疑問に思ったことも?

武内

無い。そこが愚鈍のいいところ。むしろそれしか出来ないみたいな。さっきも言ったけれど、鋭敏で嗅覚も高くて、状況を読んで次に展開していくっていうようなやり方って、俺はあんまり信じない。だったら寅さんみたいなマンネリズム、そのほうが信じられる。人格の話じゃないですよ、それしか出来ないみたいな。

飯名

今は、舞踏家、あるいは芸術家としては生きづらい時代だと思うのですが、それについてはどんな風にお考えですか?

武内

最初は、自分がやっていることに対して、ある純度っていうか、この線だけは守りたいというものはあったと思うんですよ。それが、市民権を得たというのかな、そのことは生前、土方巽さん自身も非常に危ない状況だっておっしゃっていたのだけれど、「舞踏」というものが流布されて、外国からも人が流れ込んできて、山海塾と大野一雄が世界で妙な受け入れられ方をして……、あっという間に崩れてしまった。そうすると自称舞踏家っていうのがたくさん出てきますよね、舞踏協会がライセンスを与えるわけじゃないですから。

飯名

全部自称なわけですね。

武内

僕が最初に土方さんの『肉体の叛乱』を観た時はまだ大学4年で、演劇をちょっとかじっていた頃。近くに土方さんの周辺の人がいて、これは観ておいた方がいいと言われて、観たら捕まっちゃった。怪奇で野蛮で、それはもう「名付けえぬもの」だったんですよ。表現とか踊りとかそんなことはすっ飛んじゃって、やりたい放題やり散らかす。これは表現ですらないんじゃないかという状態に、僕は惹かれたんじゃないかと。その時はそれが踊りだとは全く認識していないし、いまだに踊りという言われ方にはとても抵抗があります。

飯名

その後、自分でもやろうと思うくらいの衝撃とは、どんなものだったんでしょうか。

武内

衝撃だからもちろん分からないわけです。そして、わからないからやろうとするわけ。何の衝撃か分からない、分からないけどこちらに届けられている。それって何だろうって。

飯名

まさに命名しがたいものですね。

武内

面白いものって、分からないから面白い。分からないということがコアにあって、面白いがある。何で面白いのかっていう謎を抱いて家に帰る、なんかそういうものに自分が襲われた。今なら「変なパフォーマンス」で終わっちゃうんでしょうけれど。

飯名

土方さんの公演には、舞踏という言葉が使われていたんですか?

武内

使われていましたね。彼自身は深く目指すところがあった。

飯名

そういう舞台を観て、武内さんは実際にそれをやってみようとか、土方さんのところに行ってみようって思われたんですか。

武内

いや、そこに行ったら食い殺されると思ったから、その時は行かなかった(笑)。自意識と過剰は頑固にありましたから。

飯名

そうすると舞踏への具体的な入り口というのは、どこにあったんですか?

武内

そういうことも一切なく、高円寺で始めたわけ。無知だったんですよ、呆れますね、何にも知らないのに。でも自分で決めたことは自分でやんなきゃいけない、誰のせいにもできないって。それで高円寺会館で公演をやって、その一年後くらいに厚生年金で二回目をやって、それから大野一雄さんのところに行ったわけですね。

飯名

自分でソロ公演を何回か打ってから大野さんのところへ行ったと。

武内

そうです。ですから大野先生の扱いが全然違いましたよ。先生には、最初から自分が育てる愛弟子コースと、あなたはもう外で汚れがついてるから勝手にやりなさいコースとがあってね。

飯名

武内さんは、汚れコースだったんですね。

武内

そう。にもかかわらず、僕が三回目に厚生年金でやるっていう時に大野先生に見てもらったら、「ここで私がこうやって出てくるんです」とか言い出すんだよ(笑)。

飯名

自分も出ると(笑)。

武内

人の公演なのにね(笑)。稽古を見てもらっていても、自分のことしか考えてないのが良く分かる。「そしたら、こっちから私がこう出てきましょう」とか(笑)。もう本人は舞台上に乗っているんだよ。実際の公演の時、僕はベルサイユのバラみたいに20メートルくらいの高級なベルベットでドレスを作ったんだけれど、それを着てるのを見て、「それは私が着たほうが似合います」なんて言うわけですよ。僕の舞台に出たっていうのも、大野先生にとっては随分久しぶりの舞台だったわけですよ。その二年後くらいですよね、『ラ・アルヘンチーナ頌』(1977年)の初演が。

飯名

その時は、武内さんの演出みたいなものがあったんですか?

武内

ないね。一応粗っぽい構成じみたものはありましたけどね、ほとんど二人の即興で。

飯名

そうすると大野さんに習ったっていう感じではないわけですね。舞踏を習いましたという感じでもない。

武内

そうですね、「身につく」というか。血となり肉となりというようなところにあって、稽古といったら、まず先生の話があって、はい即興って、一時間半くらい投げ出されるだけですからね。それを三年くらいやったのかな。だから、一つ一つの技術が身につくだとか、そういうことでは一切なかったです。技術って何ですかって聞いたことがありましたけれどね。そうしたら「それは犬の尻尾みたいなものですよ」って。「犬の尻尾ってなんですか」って聞いたら「必要にして不要、不要にして必要」だって(笑)。つまり癖ってことですよね。癖の果てに、技術らしいものが立ち上がってくるということだったんじゃないかと思いましたけれどね。

飯名

大野一雄さんと話をしたり、一緒の舞台に立ったりするなかで、これは自分が考えていることと一緒だとか、合点がいったりとか、武内さんの方で気がつくことは多かったんでしょうか? 

武内

三年も通っているとね、少し身体のアタリを取れるようになってくる。それまでは無知で、観念的に作っていたようなことが、身体に対するアタリを取ることで言葉と身体の距離がぐっと縮まったところがあった。

飯名

それまでは言葉を考えていなかったんですか?

武内

身体とは言いながら、むしろ言葉でしたね、観念的なもので作っていた。それから当時、舞踏モードみたいなものがあったでしょ、女装だとか白塗りだとか。そういうものをない交ぜにしたような状態で、舞踏って言っていましたね。

飯名

そういう状況の中で、武内さんの舞踏に何か変化はありましたか?

武内

70年代の終わりあたりから少し手ごたえらしきものがでてきた。さらに土方さんが亡くなる86年までは、土方さんとお話しする機会が随分あったので、そのことがとても勉強になりましたね。



武内靖彦氏 × 飯名尚人 座・高円寺にて  撮影:久塚真央

飯名

土方さんとどんな話をするんですか?

武内

話っていっても、実は全然分かってないんだよ。土方さんの頭の回転数があまりにも早いんで。難しいことは何も言ってないんだけど、話されている時には、言葉の実感がわかないわけ。随分時間が経ってから、ああ、そうかって気づくことが多かったね。分からないのに、頷いちゃう感じってあるじゃない。話の内容が、実体をもってこちらに届くのに時間がかかったんだ。そのあたりじゃないかな、僕が手ごたえを感じ始めたのは。こういう言葉使いじゃないとリアルにこちらに届いてこないんだっていうことが、土方さんのメタファーの中にいっぱい含まれてあったから、言葉と身体ということを考える時に、土方巽に出会ったのは非常に大きいことでしたね。だから僕は直弟子ではないんですけれど、私淑しているというか。
ほとんどの人が門を叩くような形で入っていく中で、自分で舞踏らしきものを既にやってきた人がそこに交わるっていう感覚ですよね。先生側からしても、あ、こいつなんか違うって思ったんでしょうね。
やっぱり稚拙は当然あるだろうけど、高円寺会館での公演には大野慶人さんは来ていて、土方さんも一緒に来たみたいなようなことを言っていて。彼らの感じからいうと、舞踏公演は自分たちの専売特許というか仲間意識というか、そういうレベルであったのに、聞いたことがないような若造が舞踏なんて言い始めたから、あれって思ったんじゃないですかね。

飯名

武内さんは、作品を創る時にどんなことなさるんですか。稽古とか振り付けをするわけじゃないですよね。

武内

自分一人だもんね。若いときはわからなかったから、とにかく痩せなきゃいけないって思って、阿修羅のごとく痩せて、それをただ舞台上に乗っけるだけみたいな。

飯名

痩せなきゃっていうのはなにかイメージが?

武内

土方巽が焼きついていたんでしょうね。痩せているやつしか信じないっていう言い方をしてたから。信じてほしいから。そもそも稽古の仕方がわからない。手探りで、独学でやっているようなものだから。大野先生のところに行きましたけれど、本当に一時間半放り出されるような稽古だったわけだから、もうわからないまんま。未だに確立されたシステマチックな稽古の方法や意識みたいなものは持っていません。

飯名

先日、武内さんのウェブサイトで、ダンス白州の対談みたいな、結構ディープな話をしている長い文章を読んで、面白いなって思ったのが、白州の田んぼとか自然の中で踊るときっていうのは、どこからその人が来たのか分かるんだって書いてあって。劇場だと楽屋から出てきましたみたいになっちゃうけれど、だからそこが違うんだっていう話をなさっていて。でも、一番最初は劇場(高円寺会館)でやろうって思ったわけですよね、そういう時にどういるかとか、お客さんに対してどこから来たのかっていう、白州のインタビューにあるようなことは考えていたんですか?

武内

考えてないよ、あのとき24歳ですよ(笑)。僕が、わりあい言葉を信頼できるなって思っている加藤智野君という人がいて、彼が言ったのは、観客は時間をかけて空間を突っ切って、山手線に乗ったり中央線に乗ったりして劇場までたどり着くのに、舞踏家、演者のお前は楽屋から出てきたろって。時間の層が無いじゃないかっていうことですよね、客がここまで足を使ってきたのに対して、出を待たせている時間の層が出てこなければ見合わないじゃないかっていう話ですよね。劇場の窮屈なある呪縛状態があるわけですよね。白州の場合は、客も観なくてもいいし、観てもいいしっていうようなところで、客も演じて手も同一条件の下でいられるねっていう話だったんじゃないかな、あれは。

飯名

劇場でやるときに、武内さん自身はそうだなって思いました?

武内  

僕がわりあいキータームにしてるのは、「いる」っていうことなんだよね。「踊る」じゃなくて。いるっていう姿とか、いるっていう気配とか、いるっていう佇まいとか、空間を支えているものは何かっていうことがとても大きい。単彩に絞って言えば、人がいるという状態。

飯名

人がいるとか死ぬとか倒れるとか、実はすごく日常的なことじゃないですか。舞台にいるっていうのも、言ってみればあたりまえのことで、それをあえてやるというのは、どういう意図なんでしょうか。

武内

そこはさっき言った、生きてきた時間の層をくぐって今ここにいるっていうような、実在していることの重力っていうものかな。そういう時間の層、あるいは背負っているものがあって、だから気配が調整されてくるとかね。そこでやっと空間論みたいなものに届いていくんじゃないですか。

飯名

ですが、いわゆる背負う稽古ってできないじゃないですか。技術として、こうすると背負えるよっていうのは、無いですよね。

武内

あったら教えて(笑)。

飯名

あったら知りたい(笑)。それって、結局、最初の「名づけえぬもの」っていうことになっちゃいますよね。舞台上でもそうだし、稽古に関しても、外から見たら何をしているんだろうということをずっとやっているわけですよね。

武内

でもほんの少しずつ累積されていくんですよね、所作とか物腰とか、しぐさとか佇まいというような、あるすがたが、だんだん、だんだん、重力を増してくるというのは分かった。ただ歳を食っているだけじゃねぇんだっていう。でも歳を食ってきたから重なってきたのかもしれないけど。そういうのがまず頭で分かっているということと、まず身体が先行してそういうものが出てくるっていうことが、ゆっくりとね、わかってきた。だから60歳くらいからですよ、面白いなって思い始めたの。手ごたえっていうか。

飯名

公演のペースってどのくらいですか。

武内

昔はね、一年おきだったんですよね、しばらくの間。1971年にやってから次は1973年、それから1975年。それと4年間一切何もしないっていうのが3回ありましたね。併せて12年間。土方さんが死んだ後4年間何もしなかったとか。充填するのにそれだけの時間が必要だったのかもしれないけれど。

飯名

その間って稽古も何もしないんですか?

武内

しないと不安になるから、看板屋に行く前に走ったりさ、そういうことはするわけですよ。そういうのがなんか愚直だよな(笑)、40 年も愚直やってきたわけ。自分の不安になる部分は、そうやって解消するみたいなことがあって。

飯名

4年間やらずに、じゃあやろうってなった時って、どういう感覚なんですか、なんか開けた感じ、それとも…。

武内

いや多分、自分で自分をけしかけてるだけですよ、そそのかすの。当然、そばには近しい人を寄せませんでしたから、自分で自分をそそのかしたりあおったりして。これはやんなきゃだめだなみたいな。

飯名  

例えば何人かでやるときって、仲間同士のモチベーションとか話し合いで、やろうよなんて、あるじゃないですか。自分がテンション落ちてても、なんかやんなきゃなとかって。ソロの場合ってけしかけていくしかないんですかね。

武内

鏡を見ながらやってるんですよ(笑)。確かに、そそのかすような一面ってありましたよね、自分を追い込むみたいなこと。だから時間かかりますよね、一人でやるっていうのは。

0.JPG写真:神山貞次郎

飯名

70年代、80年代の頃は、ソロの舞踏家っていうのは多かったですか。

武内

ほとんどソロだったんじゃない?

飯名

みんなそういうやり方で稽古していた?

武内

結構そうだと思う。天使館っていうところがあったんですけど、みんな卒業公演みたいに、ソロをやって辞めていくっていう、そういう人が多かったような気がしますね。

飯名

武内さんは舞踏団とか舞踏カンパニーを作ろうと思わなかったんですか。

武内

全然。それは一回も考えたこと無かったね。興味が無いんだよね、人を振付けるとか演出するとかに。そういう資質は大野一雄に似ているかもしれない。

飯名

自作自演。

武内

そうですね。

飯名

今、舞踏という形がなんとなく残っているじゃないですか。

武内

僕は残っていないと思うんですけどね。僕の言い方で言えば、舞踏公演で舞踏が陳列されるわけじゃないよ、舞踏家のやることが舞踏だっていうのは疑わしいよっていう。

飯名

舞踏家が踊るから、ということだけでは、イコール舞踏じゃないと。

武内

ただ、どうしてこういう状況になったのかと言えば、舞踏が一括りにされて、ダンスの枠組みの中にカテゴライズされて、ジャンル化されてるわけでしょ。それが前提化されてるからそれに呼応してそういうことって起こったわけだよ。絶対定義があって、協会がライセンスあげないって話じゃないわけだから。自分のやることは舞踏だっていう、自分の思い込みだとか、すごくムーディーなものとか、あるいはモダンダンスの人が舞踏をやってみたいとか、というようなことのレベルだと思うんですよね。

飯名

ダンスなんかでもそうですけど、よく「お前のそれは舞踏じゃない」っていう議論あるじゃないですか。舞踏をやってる人っていう言い方も、もはや違うのかもしれないですけど、それぞれの舞踏観っていうのがあるわけですよね、きっと。これがそうなんだって。例えば会話の中で、あれはどうもちがうなあという感覚ってどうしても出て来ちゃった時に、それはどこの部分に関して感じるのか……。

武内

僕はまた「名付けえぬもの」に返ってしまうんですね。つまり、舞台上で展開されたことに対して、不思議なものを観てしまった。舞踏っていうものを、外在化してまるであるものかのように前提にしているというのは、僕から見るとすでに舞踏ではなくなっているんですよ。そのようにジャンル化されるものでない。最近よく例えで言うのは、ガルシア・ロルカっていうスペインの詩人いるじゃないですか、虐殺されちゃった。彼がドゥエンデ(duende:神秘的でいわく言いがたい魅力)というのをキータームに喋っているところがある。この絵にはドゥエンデがある、この音楽にはドゥエンデがないとか、このフラメンコはまるでドゥエンデそのものだと。そういうような物言いとしてあるんじゃないのか。つまり舞踏公演っていくら打ってもいいけれど、そこに舞踏が現前されてくるかどうかは分からない。それは客が、受け手が決めることなのかもしれない。やる方が勝手にそう思ってるかもしれないけど。そこのところは体験性が高いかどうかとういことでしょうね、劇場性の密度が。だから、経済の問題もあって、舞踏公演っていって世界的に認知されているというのを前提にして、事態が広がっているんでしょうけど。

飯名

実際、宣伝しづらいものですよね。

武内

隠すんですよ、隠すと観たがるから(笑)。

飯名

武内さんの舞台を、舞踏公演ですよっていうと武内さんに怒られそうだし(笑)。じゃあ、なにするんですかって人に聞かれたら、なんかいるんだよね、舞台に、って。そういう説明しかできなくなっちゃうんですよね。

武内

若いときに、どういうのをやってるんですかって聞かれて、前衛舞踊ですっていうと、それは日本舞踊ですか、バレエなんですかって聞かれる。自分がどうも名付けようのないことをやっている、でも憧れがあってそれをやっている。自分自身が原点になって身体表出をやりたいと思った時、先生も何も持たないで、でも自分から始めたいって思った時に、自分の一番手近なところに舞踏というものがあった。最初に自分が自分の自己表出というふうに願ったものを大切にして、その後どうしているか、展開しましたかっていうことは、実は舞踏とは関係ない。つまりその人の中に舞踏性があるかどうか。だからモダンダンスの中にも当然舞踏性があるわけですよ、そのコアの核心の部分が、「このバレエ、なんだか舞踏みたいね」みたいな言い方になるかもしれないし。その表れとして考えれば当然それはあるわけです。

飯名  

この人、舞踏っぽいっとか、自分なりに感じたりします。踊りだけでなく、色々なものを見て、このデザインは舞踏っぽいなとか。ところがその「舞踏っぽい」っていったものが、一体なんなのかは自分でも分からないんですよね。でも、なんなのかっていうのが、ある意味定義されちゃうと、もう舞踏じゃなくなっちゃうんですよね。

武内

だから一番根っこのところにあるものだと思いますけどね、表現衝動の。

飯名

なんかこうモニョモニョっとしてなんだか分からない。でも、今どっちだと思います? なんだか分からないものを劇場に観にくるようなお客さんたちが、信じてるのか、それともなんだか分かりたくてきているのか、その舞台というものに対して。

武内

だから間違って入ってきていいんだよね。別にシルク・ド・ソレイユを見に行って、確実に快楽が贈与されるって関係じゃないわけだから。間違って入っちゃったって、しょうがない、観てみるかって、昔はそんなものでしたよ。分かんないけど面白かったみたいな。面白いってことは、際限がないわけだ。つまり自分に興味がなければつまらないよ、観ている方は。一方的に与えられる「ああ面白かった」ってうのはすぐ忘れるじゃない。自分で興味を持って客席に着けば、それは全然違って観えるはず。だから自分が観るっていう事には、多少苦労はあるかもしれないな。

飯名

お客さん側に?

武内

そうそう。そういうのを観念的なものだとか、意味付けだとかいうところから、それを断ち割るような舞台じゃなきゃだめだということでしょうね。文字を拾うような、言葉を拾うような、お客さんの思考回路を断ち切らないと。それがまず先決だし、お客さんが描いている舞踏というのを大きく裏切ると、裏切って面白いっていうようなこと。「ああ、初めて人間を観た」っていうのが一番いいよね。上野動物園の一番最後の檻に、ヒトっていうものがあって、飽きずにこうやって観てるようなさ。劇場からヒトを観た、ヒトを観たって、何百人も飛び出してくれば、一番いいじゃんない。踊り観たって言うんじゃなくて、ヒトを観たって。

飯名

その感覚は、今の時代だからこそそうなる可能性があると思います。今はどうしてもシステムが多いのです、芸術をやるためのルールというものが存在してしまう。例えば自分で作品をプロデュースすると、ジャンルを決めていかざるをえない。これはパフォーマンスなの、インスタレーションなの、どっちか企画書に書きなさいということがある。ところがそこに得体の知れないものがポンと出てきた場合に、これでいいんだっていうふうに思えるようにならないか、と日々考えるわけです。

武内

僕は土方巽を観た時、あなたが言ったそれでしたけどね。舞台って何やってもいいんだっていう驚きですよね。決まりごとがあるように、先入観念があったわけでしょ。それを全部破壊してしまうような人がそこに出てきたときに、ああ何やってもいいんだっていうことを見たと思うんですよね。

飯名

僕は若い人たちに教える立場にいますが「ぶち壊せ!」みたいなこと言っちゃうことも多いです。その一方でカテゴライズを学ばせるってとこもあるわけです、分かりやすく。芸術教育の中では、この2つが同時に出てきます。

武内

教育はそうですよね。

飯名

ところがそういったカテゴライズやシステムを切り崩していく教育みたいなのっていうのが、結構面白い。これだけ色んな情報があって、色んなジャンルがあるのに、さっきおっしゃられたハプニングみたいなものが、意外と無い。その中で、誰がハプニングできるの?誰がハプニング起こしてくれるんだろうっていう期待感が世の中にあるような気がするんです。それは芸術だけじゃなくて政治とか社会全体に。

武内

そういう風に広がっていますね。

飯名

それこそ救世主じゃないけど、ドンとハプニング起こして、なんだかわからない人が出てきたっていう期待感は、世の中全体にあるのかなって思ったんですけど。

武内

ただ、消費されるからね。もてはやすのもいいだろうけれど、消費されちゃうってことが、肉体表現みたいなことをやってると、とっても辛いんじゃないかな。

飯名

消費っていうのは商品っぽく?

武内

そう、ポイ捨てされるだろうし。それはしても良いんだけど、その回転が物凄く速くなっているでしょ。

飯名

そういう意味では、舞台というメディアは、そこと外れていくじゃないですか。外れてるから駄目なんだって意見もあるんだけど、外れているから自由に好きなことが出来る場所でもあると思うんですね、劇場というのは。

武内

生っていうこと?

飯名

はい、生のもの。テレビとか広告とかデザインって、倫理規制が異常に強くなってきていて、自由な表現は出来なくなってきているし、そこでの発言も制限されてきちゃっているけど、舞台の、300人、500人っていうキャパの中で出来ることっていうのは物凄くあるわけじゃないですか。その可能性ってあるなと思って。

武内

それしかないですよね。日常では騙して生きていて、舞台の上でやっと私になるって言うことが約束事ですから。

飯名

よく「日常を舞台に乗せる」っていう表現ありますよね、芝居でもダンスでも。ところが今おっしゃったように、日常では自分を騙していて、舞台になったとたんに本当の……。

武内

ちゃんと呼吸を始めるんですよ。

飯名

その感覚が凄く面白いと思うんですよ。

武内

ごく普通だったと思うんですけどね。それが。

PICT5542.JPG写真:神山貞次郎

飯名

日常で自分を騙している、そのギャップがあるから舞台に魅力があるんですかね、それともそれがフラットになっていくことによって、もっと生きやすくなるんですかね。

武内  

リアルの問題だと思いますけどね。描写的に日常、暮らしとか生活とかといったものを乗せるんじゃなくて、人が生きているというのを乗せるならば絶対リアルになるはずなんです。そのリアルの追求の仕方に色々方法があるんでしょうけど。

飯名

武内さんはどう言う方法で、リアルとかそういうことやってらっしゃるんですか?

武内

リアル一本槍だね、アタリがとれるまでやるね、結局。

飯名

どのリアルですか? 日常的なリアル?

武内

模写みたいなことをやろうとするじゃない。ずっとやるとするじゃない。デフォルメされるとするじゃない。だけどそこに実感があるとするじゃない。そういうものを拾っていくんじゃないかな。

飯名

自分にとっての実感というものが、そこにあるリアルなものとして出てくる、と。

武内

一番ね。実感というものを信じて、リアルを獲得していくっていう、これはもう大昔からきっとそういうことだったと思うんですけれど。ただそれをやっているとものすごく時間がかかるわけですね。だから促成栽培で仕立て上げるには、土方さんのようなやり方でやる。身体の機構と機能を知って、ここを押すとこうなると、神経配列していくみたいな。それを舞踏譜とか言っているんですね、僕は信じてないですけど。ある意味、振りつけというか振りネタを用意するってことですよね、舞踏の中で。その舞踏譜というものは。

飯名

正確には僕は分かってはいないんだけれども、多分、実感というようなことをいっぺんにぎゅっと、つまり、その場にぱっと立ったときに実感が詰まっているという状態にするんだと思うんですね。

武内 

そうすると沸騰点にいくわけですよ、きっちり詰まって発火寸前の状態になる。そういう状態を作っておけば、次はどうとでも動ける。要するに言われたことの聞こえ方が違って、違う回路になっていく。っていうと、直結するんだよ身体に。

飯名

それを武内さんは舞踏譜といういわゆる蓄積型でなく、その都度の実感を掴むという作業をずっとしているということですかね。

武内

その作業ですよね、きっと。ただ待てよって、最近、思いますけどね。この間、加藤君と話していて、実感の反対で虚感ってないんですかねっていう言い方して。それって信じればいいだけの話じゃない。実感っていうのは必ず見間違いや聞き間違いがあるんだけど、必ず自分にとってそれが真実だって言う確信ですから。

飯名

それが面白いなって思うのは、フィクション、ノンフィクションじゃないですけど、記憶違いってあるじゃないですか。自分が観たものとか読んだ本とか、記憶違いするんだけど、堂々とそれを人に喋って、あそこの部分に感動したんだとかって言って、そこに影響を受けてたりする。でもよく十何年とか経って読み返してみると、全然そんなシーンは無くて別な本だったりとか、そういう記憶違い。でも記憶違いを信じこんでたりすると、自分にとっては実感になっちゃったりするわけですよね。

武内

それが実感ですよ。リアルだ。

飯名

だからほんとうにあるものを、リアリティとするんじゃなくて、自分が実感したかどうかが、リアルかどうかの判断になるってことですね。

武内

そのへんが、僕が時間がかかってるなと思うところ。

飯名

それは時間がかかりますよね。

武内

かかる。かかるけれども獲得したときが凄く強い。ただそれを希求する姿勢がないと無理ですけどね。

飯名

たしかに時間がかかるし、やり方を教われないですよね。入り口は分かるかもしれないけど、それをやっていきなさいよと言われてどこまで出来るか。しかもそれが感覚だけじゃなくて、舞台の上に立って行為をするわけじゃないですか。観念だけじゃなくて、身体に移し変えていく。そこのずれってあるわけですか。

武内

言葉の置き方だね、身体の中の。それを繋いでいく、ブリッジしていく。

飯名

身体の中に言葉を置くってどういう感覚ですか。説明ではないですよね、ジェスチャーじゃないわけだから。

武内

模写の話でさ、ある人がフラメンコかなにかを観たのね、それで凄く感動して、興奮して、その感動を僕に伝えようとする。僕は話を聞いているうちに舞台を想像するじゃない。そうすると、僕が実際に舞台を観るよりも、その人の言葉を通して実現している舞台のほうが、明らかに僕にとっては入ってくるんだよな、言葉が。つまり頭の中で構築するわけだよ。そうすると模写というのが非常にしやすいんですよね、一拍置くと。モノを観てその通りやろうとすると物凄く難しいんだけれど。僕の経験でですよ、これは。一拍置いて入ってくると、それが言葉なんじゃないのかなと。

飯名

武内さんは本とか読むんですか?

武内

読まないんだよ(笑)。本をホントに読まない。僕ダメなの、すぐ眠っちゃう。特にこのところはね。

飯名

意外ですね。

武内

駄目なの。舞踏の無教養学派だから(笑)。

飯名

とすると、言葉からの影響っていうのは、色んな人の話であったり会話であったりするのが大きいんですか。

武内

残っているのはね。そのことが、なんか体の響きをとってくるっていうようなことですよ。だから今は『病める舞姫』(土方巽著)しか読んでないですね。いっぱい拾えるんですね、あの中で。アタリを取ることができる。何か自分がやると『舞姫』の中に書いてあったなって言うような感じのことはすごくある。だから今は『病める舞姫』を繰り返し読んでいるのと、あと古井由吉さんっていう人だけ読むんですよ、なぜか。その人がこの間、新聞のインタビューで面白いこと言ってたんですけど、構想が別にあるわけじゃない、ぐちゃぐちゃと一人で悩んでいると言葉がポッと最初に出てくる。そうすると、そのはじめの言葉に見合った終わりが待っている。なんかそれって即興のプロセスなんだよね。考えて構築して作り上げていくっていうよりも。それって即興だって思って。

飯名

即興って難しいじゃないですか、すぐ出来るものではないですよね。武内さんの舞台に乗せる即興っていうのは、武内さんなりに説明すると、どういうものを即興と呼んでいるのですか。

武内  

今年の五月にplan Bで、田中泯さんの演出で僕が独舞をやったの。その時いっぱい勉強して、僕にとってはとてもいい体験だったんだけども。その中で彼が、しゃっくりをしてくれっていうわけ。シノプシスがあって、その中にしゃっくりとか泣くとかが出てくるわけよ。僕は、「とにかく僕がどうのじゃなくて、全部、泯さんに預けますから、環境は全部。で、僕はそこで生態系をつむいでいけばいいんですね」みたいな生意気な観念的なことを言ってたんですけど、実際、渡されるとええって思ったわけ(笑)。多分、僕は上手にしゃっくりもできるでしょう、泣くのも出来るでしょう。でも、いや武内さんがしゃっくりするのを観たいんじゃないんだよね。上手にしゃっくりして喜ぶのは取り巻きだけだよって。武内じゃなくてしゃっくりの身体が観たいって、泯さんが言ったの。これって厳密な意味で、即興でしょ。とっても分かりやすいわけですよね。

飯名

ということは、武内さんを観たいんじゃないって、言われたわけですね。

武内

そういうことです。僕が観たい人は、僕が感覚が作り上げる世界を観て、いつもと同じだなとか、やっぱり新鮮だったとか思うわけでしょ。(客は)その感覚に引きずり回されるわけ。でもそういう感覚に付き合いきれないよっていうお客さんもいるわけじゃない、好き嫌いで言えば。でも身体ってのが前面に立ったとき、身体自身が反応を起こして、身体自身が展開を起こしていくレベルってのはあると思う。

飯名

そうすると、しゃっくりをしている身体というのはどう表現するんでしょうか?

武内

しゃっくりはするんだけど、しゃっくりをして見せながら、ものすごく頑張るわけですよ、自分を消しこむことに。それって身体がそういうような判断をして、反応をして、判断して、次に向かっていくようなことが展開されていった時に本当に即興だと思う。

飯名

そうするとそこには、表現というか、自分が表現するみたいな、ある種のよくある踊り手のエゴみたいなものが無くなってしまう。

武内

それは最初に消さなきゃ駄目だよ、話にならない。あなたの自己主張だとか、自己表現を観たいんじゃないんだ。あなたが消えた後のものが観たいんだ。それって身体じゃないのって言い方でしょ。

飯名

そこが西洋のダンスと大きく違いますよね。

武内

それが土方が絶対放さなかったことでしょ、身体を考えたときに。

飯名

だから舞台に立ってスポットライト浴びて、自分が表現できないって、出演者としては、普通、モンモンとするじゃないですか。でもそこが観たいんじゃないんだよって言われて。

武内

でも僕は10年間ぐらい舞台で棒立ちでしたよ。金縛りっていうか、動けない。それが10年くらい続きました。何で俺はここにいるんだ、みたいな。舞台上でそう思っちゃう。

飯名

それをお客さんが観る。それはそれで凄いですけどね、それをお客さんにさらしちゃうって。

武内

嫌なのにね、上手になりたいと思ったけど。でも、そういうのが長く続いた。だから何かを表現しようと思って出て行くようなことじゃなくて、表現を放棄したところで、なおかつそこにいるっていうようなことって大切なことだと思うんですよね。表現意識や表現意志を確認したいんじゃなくて、表現をしようがしまいがあなたそこにいるじゃない、観てるよっていうようなことが最低限のことだと思います。

飯名

それをやっている人を観に来るってことですね、お客さんは。

武内  

つまりやっている人に自分を観るんだけどね。自分を観に行くわけですよ、他人は観には行かない。自分を観に行く。だからヒトを観た、ヒトを観たって飛び出すわけですよ、きっと。

飯名

武内さんを観ているのに、自分を照らし合わせてしまって、あたかも自分を観たような気がしてくる。ということは、あなたと私という関係が壊れて、私になってしまうわけですよね。その感覚にこそ、社会と芸術表現の接点があるというか。そんな感じがするんですよ。武内さんの話を聞いていて、舞台上には現代社会のテーマとかはないんだけれど、そこにお客さんが繋がっちゃうとすると、ある意味怖いですよね。

武内

怖いはずですよ。こんなこというと客こなくなっちゃう(笑)、客も覚悟しなきゃいけない。一方的な贈与でさ、こんなものに拍手するんじゃねえよって。でも、おかしいですよね、こんな歳までそんなこと言ってるの。でもそれが醍醐味なんじゃないのって言えると思いますよ。

飯名

演劇にしても、音楽にしてもダンスにしても、若い作り手たちは、そういう舞台を観たらいいなって思うんですよね。もちろんそういった教育的な芸術の勉強も大事なんですけれど、全てにおいて表現っていうのは、その部分にあるわけじゃないですか、理想を言うのであれば。この間、沖縄の三線のライブに行って、演奏した人に後で話を聞いたら、一切曲目を決めずに、お客さんの雰囲気を見て考えると。曲目の事でお客さんと喧嘩する時もあるんだって、ハプニングどうぞいらっしゃいという感覚でやっていますと言うんですよ。その時に、舞台に立つ人から久々にハプニングという言葉を聞いたんです。どうしても、プロデューサー側に立ったとき、作品として仕上がっているものがいいし、売りやすいわけですよね。だから、武内さんをどうやって宣伝したらいいかっていうと、やっぱり難しいわけですよ。舞踏のいい公演だとか、いい踊りが観られるとか、あの人の使ってる音楽いいんだよねとか、そういうことじゃなくて、愚鈍、愚直な人が舞台に一時間くらい立つんだよ、観に行きなさい、っていうような。

武内

でもそう言ったら来ないよね(笑)。ダメだよ。

飯名

僕として、そこに興味を持ってもらいたいなっていうのがあるんですよ。確かに、どういうことやっているのかをもう少し説明しなきゃいけないけど。でもその魅力ってあると思うんですよね、なんかやってる人を観るという。

武内

多分、人はね、それを観れるはずなんだよ。観る力がある、人の目ってそういうことですよ。観えているっていう状態が、観たいってものを隠している場合があるから。

飯名

つまりそれは、語弊があるかもしれないけれども、逆に舞台、芸術をたくさん観てきた人よりも、そうじゃない人達の方が実は観ることができたり、すんなり受け入れられるものがある。

武内

私たちが日常で見ているときに切り取って表現にするじゃない、やってる方にはそういう意識は何もないよね。でもちゃんと日常の中でフレーム化するじゃない。観られてる方には全然分からないけれども。その場合、表現は成立しているわけですよ、観てる側にとっては。なにも劇場に行かなきゃ表現じゃないということはない。だから表現というのが、最低レベルのところまで持ち込まないといけない。やっぱり表現を放棄することが一番早いような気がしますね。表現を放棄すると、人がいるっていう状態がくっきり輪郭化されてくるなということを最近思いました。鼻膨らまして表現するぞ!やるぞ!って出て来た奴に、何も観た試しないもん。舞踏やるぞ、みたいなさ。舞踏はやってるんだけど、そこに舞踏が全然無いの。特殊なことを観たいんじゃないだよね。いつも通りのことを観たけれど、それはかなり特殊なことだったっていうようなことが、ぎっちり非日常が詰まって日常になって、日常があまりにもぎっちり詰まれば非日常にしか見えない、と。これは土方巽の言い方を真似たけれども。

飯名

凄く矛盾しているような、まさに禅問答になってしまうようなことをずっと考えながらそこに向かうわけですね。その話でいくと、じゃあなんで劇場でやるんですかって話になっちゃいますよね。その問いって吹っ切れたんですか。あえて劇場でショーという形でやるよ、お客さんに来てもらってやるよっていうことの壁というのは、いつから無くなったんですか?

武内

それははじめから考えないことにしたから(笑)。その当時、確かに状況劇場のテント芝居とか、要するに劇場が全面的に否定されて、演劇がされたところに劇場が出現するんだっていうようなことが大変強かったから。だけど随分最初の頃から、土方さんが日本青年館かな、笠井叡さんが厚生年金とかね。みんな劇場を使ってやってた。なんか不思議な感じがしましたけどね。

飯名

武内さんはその時どういう活動をしたんですか。劇場とかそういうところを使ってやってたんですか。

武内

最初、厚生年金だしね。それから草月ホールとか。

飯名

それは考えないことにしたと。

武内

内容の問題だと。器の問題じゃないと(笑)。

飯名

今回、高円寺でやるっていうのは、40 周年っていうのでここでやろうということに決めたんですか?

武内

ずいぶん前から考えていてね。12年前に野方(東京/中野)に越してきた。そのころはまだ元の高円寺会館が建っていたわけよ。それでこの辺を散歩なんかしていてね。「そうだ、自分の40周年のときに、電源車かなんか入れて、中を変えちゃえば、舞台出来るだろうっていう気持ちはあったの。構想をしていた。夢みたいな話だけどね。そしたら、そのうち工事が始まって、ええ!って。何が出来るのかって聞いたら小劇場だっていうじゃない。芸術監督聞いたら佐藤信さんだっていうじゃない!ちょうどその前に佐藤信さんの芝居に僕が出ることがあったの。これは「ここでやれ」って言われているようなものだなって。

飯名

これは高円寺の場所が呼んだ公演みたいですね。

武内

まあ引っ掛けたんですけどね。40周年っていうのがたまたま同じ場所ってことになったわけですけれどね。40 周年って言ったらもっと大きな帝劇でやったりさ、そういう人もいるわけじゃない。たまたまそういう経緯だったから。面白い奇縁だなって。

飯名

40年前にやった場所でもう一回やるっていうその感覚は想像できないんですよね。40年前に、ここで最初に俺は踊ったんだなって思うと、なんかそれだけでちょっとセンチメンタルになってしまうような。

武内

地霊が立ちますか(笑)。

飯名

今回のこの公演のテーマとかそういったものは無いにしても、何かこういうことをしでかしてやろうという目論見はあるんですか。

武内

脅かしてやろうと思って(笑)。つまり、舞踏というものを多少知ってる人とか、よく知っている人、まるで知らない人とか色々いると思うんですけど、劇場の、生身の人間がやる醍醐味っていうのが出れば良いなって。それを直裁にやりたいなって。なんか僕もかなり舞踏モードみたいなものが入ったんだけど、そういう舞踏の衣装みたいなものは全部無くして向かいたいなって。極力素で、何も持たずに、身一つで行きたいなとは思いますけどね。

飯名

実際、舞台でやるというのは観られるということじゃないですか。武内さんにとってのお客さんっていうのはどういう人たちをいうのでしょうか。どんな人に観てほしいと思っていますか?

武内

昔ね、まだ土方さんが生きている時に、テルプシコールという小さい小屋でやって、客が五、六人だったかな。そこに土方巽と大野一雄と芦川羊子が入っているわけ。そうするとこれはもう一人二百人分ぐらい持っていますよね。とすると数とか頭とか量とか質とかというようなこととは違って、ヒトを観たいという人に来てもらいたいですよね、観て儲けもんしたみたいに、えっ、て言うような。

飯名

唯一狙いとしてあるとするならば、「人を観に来ないか?」(笑)。

武内

動物園じゃない(笑)。

飯名

でも本質はそうですよね。特に舞踏というやり方を見ると。

武内

表現を説明すると薄まるじゃないですか。説明するほどに薄っぺらになって痩せてきちゃうじゃない。だから説明しないことの方がいい、という方が丁寧なんですよね。全部説明聞いたら、じゃあいいや観なくてって、きっと言いますよ。生身が立つっていうのはちょっと違うことだぜっていうことだよね。あなたが言ったような、いかなるハプニングが待っているかもしれない、いかなる即興があるかもしれない。身体が探り当てていく。必然性というものが誕生する可能性がある。

飯名

まさに生身っていうことですよね。生身の人がそこに立っているというそのリアリティでもあり虚構でもあり、そういったものを体験してこないかっていうそういう誘い方になるんですよね。例えば外国の人に「舞踏があるよ」っていうと、やっぱりスキンヘッドに白塗りでツンはいてっていうのを観たがるし、喜んでもらえる。

武内

そういう人もいるわけですよね。

飯名

でも、それだけじゃないよ、もっとすげえのがあるよっていうふうにした時に、なんていうかって考えるわけですよ。もしかして武内さんという、表現をする人が考える作業じゃなくて、外側の人間が考えることなのかもしれないですけど。なんて説明しようかどう表現しようかっていう時に、「生身の人間が観れるよ」っていうショーって少ないと思うんですよ、実際。

武内

生身って言ったってストリップじゃないけどね(笑)。

飯名

下手したら何も起こらないかもしれないよ、でもそれでも面白いんだよっていう。とりあえず観に行ってよっていう風にしかならないもの。最近、それって少ないなって思うんですよね。だいたい説明がつくし。前に唐組観て、あらすじなんだったって言われて、全然言えなかったんですよ。面白かったんですよ、紅テント入ってテントで観た。どんなだったって聞かれて、だから犬が出てきて、水が張ってあって、飛び込んでって…だからどういうあらすじなのって聞かれて全然説明できないんですよ。そうするともう観に行ってみてっていうしかない。

武内

説明しているうちにだんだん感動が遠のいてきますよね。

飯名

違うものになっていくんですね。自分が観たものと説明してるものがなんか違う。なんかいい言葉が思い浮かばない。自分のボキャブラリーの中に良い形容詞が無くて、観に行けば分かるよって言うしかない。観に行けばわかるよっていうのが一番強いと思うんですよ。観た時の衝撃がそのまま伝わる。

武内

言葉にできないことが行われてしまった、っていうことを言葉にすると……。それは劇場に足を運んでもらうしかないよね。

 <了>